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キリスト教・仏教・諸宗教
内山興正「坐禅の意味と実際」  水野吉治 2009/03/20

T 坐禅の仕方

「風煙(ふうえん)」 坐禅する部屋に風や煙が入ってくると静かな雰囲気が乱される。
「安(あん)じる」 安置する。
「座褥(ざにく)」 坐禅の際に臀(しり)の下に敷く敷物。また住持(じゅうじ)(住職、一寺(じ)を管掌(かんしょう)する主僧(しゅそう)・老僧が平常の座所(ざしょ)に敷く長方形の布団(ふとん)。『臀(でん)』は物の底。
また仏前の導師(どうし)(人を導く師。法会(ほうえ)《仏事・法要》において願文(がんもん)《願旨(がんし)を述べた文》・表白(ひょうびゃく)《法会(ほうえ)や修法(しゅほう)<加持(かじ)祈祷>のはじめに当たって本尊(ほんぞん)の前でこれから行われることについて述べること》を述べ、一座の大衆(だいしゅ)を引導(いんどう)《仏道に引き導くこと》する者)の席に敷く長方形の布団(ふとん)。
「坐蒲(ざふ)」 円形の小布団。臨済宗(りんざいしゅう)では寝具を兼ねた柏(かしわ)布団(ぶとん)を折りたたんで用いる。『坐(ざ)』はすわること。『座(ざ)』はすわる場所。
「結跏趺坐(けっかふざ)」 両足を組み合わせて坐ること。『跏(か)』は足を組むこと。『趺(ふ)』は足の甲(表面)。
「法界(ほっかい)」 全宇宙。
「定印(じょういん)」 へその前で両手を組んで禅定(ぜんじょう)のすがたを示す形。
「対せしめる」 一直線に向き合わせる。
「衲子(のっす)」 修行僧。禅僧。
「直(じき)に」 ただちに。
「須(すべから)く」 当然。
「端身(たんしん)」 身を正す。
「正坐(しょうざ)」 正面を向いて坐(ざ)すること。
「調息(ちょうそく)」 呼吸を整えること。
「致心(ちしん)」 心をきわめる。
「小乗(しょうじょう)」 自分の救いだけを求める教え。
「もと」 本来。そもそも。
「門(もん)」 教え。方法。
「数息(すそく)」 数息観(すそくかん)の略。出入の息を数えて心を統一すること。
「観(かん)」 観法(かんぽう)の略。心に真理を観ずる瞑想(めいそう)の修行実践法。
「不浄観(ふじょうかん)」 死屍(しし)がしだいに腐敗して散り失(う)せ、ついに白骨と化(か)するまでのすがたを心中に観想(観察・思索)すること。
「調息(ちょうそく)」 呼吸をととのえること。
「仏祖(ぶっそ)」 仏と祖師(禅匠(ぜんしょう)。達磨(だるま)。開祖)。
「弁道(べんどう)」 道に力をつくすこと。仏道を実践修行すること。
「二乗(にじょう)」 声聞乗(しょうもんじょう)(師の教えによってさとる者)と縁覚乗(えんがくじょう)(理法を体得してさとる者)。
「自調(じちょう)」 自分のために心をととのえること。
「流布(るふ)」 流行。はやり。
「四分律(しぶんりつ)」 悪行を戒める戒律を四つの部分に分けたもの。
「宗(しゅう)」 教え。
「倶舎論(くしゃろん)」 世界の成り立ちとさとりにいたる段階を説いている。
「大乗(だいじょう)」 自利(じり)よりも広く衆生を救おうという教え。
「丹田(たんでん)」 臍下(へそした)四、五センチのところ。
「無常(むじょう)」 うつりかわって少しもとどまらないこと。
「暁(あきら)める」 明らかにする。さとる。
「調心(ちょうしん)」 心をととのえる。
「得(え)やすし」 成し遂げやすい。
「先師」 『せんじ』と読めば亡くなった師。『せんし』と読めば昔の師。
「天童(てんどう)」 中国天童山(さん)(浙江省(せつこうしょう))の如浄(にょじょう)禅師(ぜんじ)のこと。
「従来(しょうらい)」 どこから来たか。ものの実体。
「去処(きょしょ)」 どこへ行ったか。ものの究極。
「恁麼(いんも)」 このように。
「道(い)う」 言う。
「永平(えいへい)」 道元(どうげん)禅師のこと。
「或(あるい)は」 ひょっとすると。
「人」 だれか。
「畢竟(ひっきょう)」 結局。
「如何(いかん)」 どうなのか。
「永平(えいへい)広録(こうろく)」 道元禅師の語録。


T 坐禅の仕方 その2

「ロダン」 フランスの彫刻家。フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(1840年11月12日 - 1917年11月17日)。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。
「考える人」 複製が京都国立博物館の前庭にある。その他、世界各国に20以上存在する。
「妄想(もうぞう)」 実物から宙に浮いた観念、考え事。
「幻影」 実際にはないのに自分が作り出すもの。
「坐相」 坐禅の姿勢。
「凝(こ)る」 固定する。
「呆(ぼ)ける」 働きが鈍(にぶ)る。
「生命が生命する」 生命が本来の働きをして、生命になりきる。
「端的(たんてき)に」 回り道をせず、まっすぐに。
「成就(じょうじゅ)」 達成。満足。
「的中」 命中。ツボにはまること。
「覚知」 自覚・知覚。意識されること。
「他との関係(かねあい)」 他との比較・競争・損得。
「自己が自己を自己する」 自己が自己に落ち着き、自己で完結する。(『自己になりきる』ではない。)
「坐禅が坐禅を坐禅する」 坐禅に『坐(すわ)り取られる』(櫛谷(くしや)宗則(しゅうそく))。(『坐禅になりきる』ではない。)
「ただ坐る」 一筋(ひとすじ)に坐禅すること。
「凡夫(ぼんぷ)」 現象世界を超えられない人間。業(ごう)から生じ、業(ごう)にとらわれている人間。
「無量(むりょう)無辺(むへん)」 限りなく大きく広いこと。
「知性」 認識し理解する力。
「行(ぎょう)ずる」 実践・実行する。
「かくの如(ごと)く実物する」 実物のままを、そのまま行(ぎょう)じる。
「祗管(しかん)打坐(たざ)」 一筋(ひとすじ)に坐禅すること。只管(しかん)打坐(たざ)とも書く。『祗』は「シ」、「キ」、「ギ」と読み、「ただ」、「まさに」、「安(やす)んずる」の意味。『只』は「シ」と読み、「ただ」、「のみ」、「ばかり」の意味。『管』は「つらぬく」「支配する」の意味。『打』は意味を強める言葉。『打坐』は「坐りぬく」の意味。
「悟(さと)り」 本来は『差(さ)(差別見(さべつけん))を取(と)る』のが、『差取り』であったのが、『迷いを断(た)って、すべてを明らかにすること』と考えられるようになり、そこから『凡夫が聖人になって偉くなること』と思い違いをするようになった。しかし、『迷い』と『悟り』の差別、『凡夫』と『聖人』の差別を超えたところをねらって行じることが悟りなのである。『成道(じょうどう)』とも言う。
「身心(しんじん)脱落(だつらく)」 アタマでギュッと握りしめていることを手放すこと。そのとき、体も心も実体ではないことがわかって、すべてがストンと落ちること。
「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」 『正法(しょうぼう)』は、ナマのおイノチのこと。行き着くところに行き着いた究極の落ち着きどころ。生きる意味。『正法眼(しょうぼうげん)』は、落ち着きどころを見つめる眼。生きる意味を発見した眼。『蔵(ぞう)』は、土蔵(どぞう)・倉庫。『正法眼蔵』は、人生に対する究極の誤りなき結論をおさめた倉庫。
「涅槃(ねはん)」 火を吹き消すこと。物足りないという『思い』に突き動かされて走り回っているのが人間であるが、その『思い』がふっと消えるのが涅槃。
「妙心(みょうしん)」 アタマではとらえることの出来ないおイノチ。
「実物する」 ただ実物を行じる。
「仏仏(ぶつぶつ)」 お釈迦様の前にすでに六人の仏が世に出られた。お釈迦様を入れて過去七仏(かこしちぶつ)と言う。
1.毘婆尸仏(びばしぶつ)   波波羅樹下(ははらじゅけ)にて成道(じょうどう)。 寿命八萬歳。
2.尸棄仏(しきぶつ)    分陀利樹下(ふんだりじゅけ)にて成道。 寿命七萬歳。
3.毘舎浮仏(びしゃふぶつ)   婆羅(ばら)(博叉(はくしゃ))樹下(じゅけ)にて成道。六萬歳。
4.倶留孫仏(くるそんぶつ)   尸利(しり)樹下にて成道。    四萬歳。
5.倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ) 烏暫婆羅(うざんばら)樹下にて成道。  三萬歳。
6.迦葉仏(かしょうぶつ)    尼拘律陀(にぐろーだ)樹下にて成道。  二萬歳。
7.釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)  菩提(ぼだい)樹下にて成道。    八十歳
「祖祖(そそ)」 達磨(だるま)以下、連綿(れんめん)と禅を伝えた師匠(ししょう)がた。
「正伝(しょうでん)」 師から弟子へと誤(あやま)りなく禅を伝えること。
「測(はか)り知る」 深さを知り味わう。
「悟来(ごらい)」 さとりから来た。
「悟(ご)」 さとり。
「永平広録(こうろく)」 道元(どうげん)禅師(ぜんじ)の語録(ごろく)。
「家風(かふう)」 行い・教えの説(と)き方(かた)。
「弁道(べんどう)」 仏道(ぶつどう)に全力を投げ込む。
「先師(せんじ)」 すでに亡くなった師匠。
「天童(てんどう)」 天童如浄(てんどうにょじょう)のこと。1163〜1228年。道元禅師の師匠。
「跏趺坐(かふざ)」 結跏趺坐(けっかふざ)のこと。両足を組み合わせて坐ること。『跏(か)』は足を組むこと。『趺(ふ)』は足の甲(表面)。
「古仏(こぶつ)」 過去の真理体得者。道元禅師の師匠がた。
「法(ほう)」 イノチ。教え。
「参禅(さんぜん)」 禅にハマルこと。禅に降参すること。
「焼香(しょうこう)」 香をたいて仏像などにささげること。
「礼拝(らいはい)」 拝むこと。曹洞宗(そうとうしゅう)では五体投地(ごたいとうち)が行われる。『五体投地』では、両足をそろえて立ち、合掌(がっしょう)する。次に右ひざを地につけ、左ひざをつけ、それから両手の掌(てのひら)を耳の横で上にむけ、その上にお釈迦様の足をのせて、頂(いただ)くつもりで5センチくらい持ち上げて静かに下ろす。次に額(ひたい)で地を三度たたく。さらにこれを最初から二回繰り返す。これを『お拝(はい)』とも言う。
「念仏(ねんぶつ)」 仏を思い浮かべること。
「修懴(しゅさん)」 仏の前に罪を告白して悔(く)い改めること。
「看経(かんきん)」 お経を低い声で読むこと。
「得(え)ん」 さとる。
「初祖(しょそ)」 達磨(だるま)。
「西来(さいらい)」 達磨がインド(西)から中国にきたこと。
「諸行(しょぎょう)」 仏事(ぶつじ)。仏教の習慣や行事。
「務(つと)めず」 実行しない。
「経論(きょうろん)」 仏の教えをしるした『経』とその解釈をしるした『論』。
「講(こう)ぜず」 説教しない。
「少林(しょうりん)」 嵩山(すうざん)の少林寺(しょうりんじ)。達磨の修行したところ。
「面壁(めんぺき)」 壁に向かうこと。
「眼睛(がんぜい)」 目の玉。本質。
「抉出(けっしゅつ)」 えぐり出す。
「裏(り)」 中。
「震旦国(しんたんこく)」 中国。
「斉肩(せいけん)」 肩を並べること。匹敵(ひってき)すること。
「仏法(ぶっぽう)」 本当のいのち・生命の実物。
「あきらめたる」 さとった。
「まれ」 少ない。
「体解(たいげ)」 身をもって理解すること。
「保任(ほにん)」 自分のものにすること。
「本師(ほんし)」 根本(こんぽん)の師匠。初めて仏門に入って僧(そう)となるとき、頭を剃(そ)って戒(かい)を授けてくれる師匠。
「老師(ろうし)」 禅の師匠。

澤木興道(さわきこうどう)

 明治13年(1885年)三重県津市新東(しんひがし)町に、多田惣太郎(そうたろう)の6番目の子として生まれる(姉二人、兄一人以外は早逝(そうせい))。幼名は才吉(さいきち)。4歳で母しげが死に、7歳で父惣太郎が死んだ。才吉は叔父のところにやられた。その叔父は半年後に急逝(きゅうせい)。結局、一身田町(いしんでんまち)の澤木文吉の養子となる。この人の商売は、表(おもて)は提灯屋(ちょうちんや)、本当はばくち打ちであった。才吉は小学4年まで学校へ行った。当時小学校は4年で卒業であった。隣家(りんか)は森田宗七(そうしち)という表具屋(ひょうぐや)で、才吉に、十八史略(じゅうはちしりゃく)、日本外史、大学、中庸(ちゅうよう)、文選(もんぜん)などの古典を教えてくれた。そして才吉は「世の中には金や名誉よりも大切なものがある」ということを知った。提灯屋の仕事をしているうちに、「道を求める心」が起こってきて、家出をして大阪の知人のもとに身を寄せたが、すぐ連れ戻された。しかし16歳になったとき、連れ戻されないような遠方に逃げようと、米2升、金27銭、小田原(おだわら)提灯一つを持って、再び家出をした。生米(なまごめ)を噛(か)みつつ、三重県から福井県まで4日4晩歩いて、永平寺へ行った。永平寺では家出人は置かないので断られたが、「ここで坊主にしてくれ。それが駄目(だめ)ならここで死なせてくれ」と、2昼夜飲まず食わずで頼み続け、ついに作事(さくじ)部屋の男衆(おとこしゅう)として置いてもらった。その後、福井県あわら市本荘(ほんじょう)の竜雲寺(りゅううんじ)に置いてもらっていた時のこと、ある日「今日は休みだから、自由に遊びに行ってきなさい」と言われ、こんな時こそと、一部屋に入って坐禅していた。たまたまいつも寺へ手伝いに来ているおばあさんがこれを見てびっくりし、仏様よりていねいに才吉を拝んだ。「ふだん自分をこき使っているばあさんが自分を拝むとはどうしたことか。」才吉はこれによって坐禅という姿の崇高(すうこう)さを知って、自分は一生をかけて坐禅しようと発願(ほつがん)した。
 その後、九州天草(あまくさ)の宗心寺(そうしんじ)で沢田興法(こうほう)から出家(しゅっけ)得度(とくど)を受け、「澤木興道」となった。ときに17歳であった。のちに笛岡凌雲(ふえおかりょううん)に心から傾倒(けいとう)して、「学道用心集(がくどうようじんしゅう)」、「永平C規(えいへいしんぎ)」、「坐禅用心記不能語(ふのうご)」の講義を受けた。それから日露戦争に出征し、金鵄(きんし)勲章(くんしょう)を授与された。明治39年(1906年)復員した時には26歳になっていた。それから一身田町(いしんでんまち)の高田派(たかだは)専門学校に入って仏教教学を学び、さらに大和(やまと)の法隆寺勧学院(かんがくいん)で佐伯定胤(じょういん)について唯識(ゆいしき)教学を勉強した。大正3年(1914年)34歳の時から足掛(あしか)け3年間は、大和の成福寺(じょうふくじ)という空(あ)き寺で一人で坐禅をした。大正5年(1916年)36歳の時、熊本市大慈寺(だいじじ)僧堂(そうどう)の講師となり、大正11年(1922年)42歳からは熊本市万日山(まんにちやま)に一人で住み、そこから全国各地に招かれて坐禅指導や講演のために東奔西走(とうほんせいそう)の日々を送った。昭和10年(1635年)55歳になって、駒沢大学教授と大本山総持寺後堂(そうじじごどう)(雲水(うんすい)の指導者)になったが、ついに一生寺を持たず、妻をめとらず、組織も作らず、また自ら本を書くこともせず、弟子たちが講話を録音して「沢木興道全集」18巻を作るに任せた。昭和38年(1963年)83歳になって足が弱ってからは、京都安泰(あんたい)寺にとどまって参禅会と接心(普通7日間無言で坐禅修行すること)を続け、昭和40年(1965年)85歳で亡くなった。

内山興正「いのち楽しむ」 2009/01/27

水野吉治

三、 自己追求者としてみるとき、釈迦やイエスは  私にとって何であるのか? 

「自己追求」 自分の利益を追い求めるという意味ではない。本当の自分・本当の自己・普遍的自己とは何かということを追い求めること。
「普遍的自己」 アタマの思いをやめたところに気づかれるナマの自己。全人類誰にでも共通する自己。
「マッサラな人間自己」 『一切の所属・肩書・規定・定義を超えた人間』としての自己。
「自己追求史」 真剣に自己を追求してきた先覚者の歴史。
「自己地盤」 自己を追求し、人生の見通し・意味・根拠を据えるべき土台。
「真実自己」 本当の自己。普遍的自己。
「雄大規模」 規模が大きく、ゆったりしていること。
「同一平面上の三点」 三つの点が並んでいる場合、一点でもぶれている時、その三点をつないで延長すれば必ず『円』になる。ぶれていない時、三点をつないで延長すれば必ず『直線』になる。
「二十世紀末の日本の私」 一番重要な一点。
「道理」 すじみち。わけ。
「呆(ぼ)けた面(めん)」 本当の自己を見失って、あらぬ方(かた)をさまよい歩いている状態。自己目的となってしまった宗教。
「相続」 教えや伝統が引き継がれること。
「仏教呆け・キリスト教呆け」 仏教・キリスト教にハマって、ツカリこんでしまったため、本当の自分が見えなくなった状態。自己目的となってしまった仏教・キリスト教。
「頓悟(とんご)」 速やかに、ただちに悟ること。修行の段階を経ないで、たちまち悟ること。だんだん悟りに進むのを『漸(ぜん)悟(ご)』という。
「法門」 教え。

「有所得(うしょとく)」 取捨選択して、選択したものにとらわれること。選択せず、とらわれないことを『無所得』という。『有所得禅』とは、たとえば世俗化した臨済宗でいう公案禅などのように、『悟りたい』という心にとらわれていること。『転迷開悟(てんめいかいご)』(迷いを転じて悟りを開く)は『有所得禅』であり、『迷悟超越(めいごちょうおつ)』(悟り・迷いを超えている)は『無所得禅』である。

「経典(きょうてん)」 教えを記(しる)した書物。

「涅槃(ねはん)」 @ 吹き消すこと。吹き消した状態。
     A 死ぬこと。
     B 生(しょう)をも滅(めつ)をも滅(めっ)し已(お)えたところ(生滅滅已(しょうめつめつい))。
      Bが仏教本来の意味。

「長阿含(じょうあごん)」 阿含経の中の第1部。比較的長い経を集めたもの。阿含経は仏教史上最初に成立した経典。
「遊行経(ゆぎょうきょう)」 長阿含(じょうあごん)経第2部。お釈迦さまが亡くなられる前の最後の教え。
「行(ぎょう)」 @サンスクリット語で『サンスカーラ』。造ること(業(ごう))。移り変わること(有為(うい))。
    Aサンスクリット語で『チャリヤー』または『チャリタ』。おこない。修行。
    Bサンスクリット語で『ガマナ』。行くこと。歩くこと。ちなみに『業(ごう)』はサンスクリット語で『カルマン』。行為。存続して働く力。
「無常(むじょう)」 サンスクリット語で『アニトヤ』。変化してとどまらないこと。
「滅」 @涅槃(ねはん)。
    A死。
    B滅ぼし無くすこと。
「現(げん)ずる」 現す。
「放逸(ほういつ)」 欲望に流され、善を励まないこと。
「比丘(びく)」 出家(しゅっけ)得度(とくど)して具足(ぐそく)戒(かい)(修行上の規範)を受けた男子。
「正覚(しょうがく)」 最高の悟り。
「無量」 無数。
「衆(しゅ)」 @会衆。
    A仲間。
    B僧。サンスクリット語で『サンガ』。
    C弟子たち。
    D世の人。
「常存者(じょうそんしゃ)」 存在し続けるもの。
「如来(にょらい)」 真理より来た者。お釈迦様。
「末後(まつご)」 末期(まつご)。終わりの時期。
「所説」 説くところ。
「境涯(きょうがい)」 境地。
「魔女裁判」 西欧の中世末期から近世にかけて盛んに行われた偏見による裁判。迷信に基(もと)づき魔女と名指しされた者は、裁判にかけられ殺された。

四、 釈迦の根本的教えは何か? 

「釈迦」 古代インドのシャーキヤ族。仏陀はこの部族の出身で、シャーキヤ族の聖者、釈迦牟(しゃかむ)尼(に)と呼ばれた。
「阿含経」 仏教史上最初に成立した経典。『阿含(あごん)』とは『帰するところ』という意味で、釈迦の説いた教えを指す。
「結集(けつじゅう)」 口から口へと伝えられた教えを編集する会議。
「随侍(ずいじ)」 従い付き添うこと。
「訓(おし)え」 戒(いまし)め教えること。『誨(おし)え』はわからない人に教えること。『教え』は常々の導き。

「無常(むじょう)」 サンスクリットで『アニトヤ』。変化してとどまらないこと。
 『サンスクリット』は『梵語(ぼんご)』と訳される。梵天(ぼんてん)が作った言葉という意味。梵天(ぼんてん)とは宇宙の根源である梵(ぼん)(ブラフマン)を神格化したもの。大乗仏教の経典はほとんどサンスクリットで書かれている。原始仏教聖典はパーリ語で書かれている。

「縁起(えんぎ)」 他との関係が縁となって起こること。

「四諦(したい)」 『諦(たい)』は真理。
  
  @この世は苦であるという真理(苦諦(くたい))。
   『四苦八苦』 一 生(しょう)苦
       二 老苦(ろうく)
       三 病苦
       四 死苦
       五 愛別離苦 愛するものと別れなければならない苦しみ
       六 怨憎会苦(おんぞうえく) 怨(うら)み憎(にく)むものと会わなければならない苦しみ
       七 求不得(ぐふとく)苦 求めるものが得られない苦しみ
       八 五陰盛(ごおんじょう)苦 または『五蘊盛(ごうんじょう)苦』 色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)から起こる苦しみが盛んに起こること『蘊(うん)』はあつまり。
          五蘊(うん)とは
      1.色蘊(しきうん)(人間の肉体及びすべての物質)
           2.受蘊(じゅうん)(感受作用)
           3.想蘊(そううん)(表象作用)
           4.行蘊(ぎょううん)(意志作用)
           5.識蘊(しきうん)(認識作用)

  A苦の原因は執着(しゅうじゃく)にあるという真理(集諦(じったい))。
  B苦をなくする道は執着(しゅうじゃく)をやめることにあるという真理(滅諦(めつたい))。
  C執着(しゅうじゃく)をやめるために修行をしなければならないという真理(道諦(どうたい))。

「八正道(はっしょうどう)」
  @正しく四諦(したい)の道理を見ること(正見)。
  A正しく四諦(したい)の道理を思うこと(正思)。
  B正しく語ること(正語(しょうご))。
  C正しい修行をすること(正業(しょうごう))。
  D正しい生活をすること(正命(みょう))。
  E正しく善に励むこと(正精進(しょうしょうじん))。
  F正しく妄想(もうぞう)をやめること(正念(しょうねん))。
  G正しく集中すること(正定(しょうじょう))。

「十二因縁(いんねん)」
  @道理をはっきりと理解できないこと(無明(むみょう))。
  A業(ごう)を造(つく)ること(行(ぎょう))。
  B識別(しきべつ)作用(識(しき))。
  C心と体(名色(みょうしき))。
  D眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根(ろっこん)(六入(ろくにゅう))。
  E外界に触れること(触(そく))。
  F感受作用(受(じゅ))。
  G苦を避け楽を求めようとすること(愛、サンスクリットで『トリシュナー』(渇(かつ)愛(あい)))。
  H執着(しゅうじゃく)すること(取(しゅ))。
  I存在(有(う))。
  J生まれること(生(しょう))。
  K老いることと死ぬこと(老死(ろうし))。

「市井(しせい)」 まち。
「帰依」 より頼む。信じる。
「法」 仏法。真理。
「自灯明(じとうみょう)」 自己を光とせよ。
「法灯明」 仏法を光とせよ。
「不他(ふた)灯明」 他人を光とするな。
「州(しま)」 拠(よ)り所(どころ)。

「長阿含(じょうあごん)」 大正(たいしょう)新脩(しんしゅう)大蔵(だいぞう)経(きょう)第1巻阿含部(あごんぶ)上(じょう)の巻頭に『長阿含(じょうあごん)経(ぎょう)』22巻が収(おさ)められ、4分(ぶん)30経より成っている。第一分に仏陀に関する諸経、第二分に行(ぎょう)と教理に関する諸経、第三分に外道(げどう)(仏教以外の宗教)に関する論難(ろんなん)、第四分に世界が出来たことと滅びることとを説く経典を含む。

「遊行(ゆぎょう)経(きょう)」 長阿含(じょうあごん)経(ぎょう)第2に含まれ、仏陀の最後の教えが収(おさ)められている。
「自帰依(じきえ)、法(ほう)帰依(きえ)、不他(ふた)帰依(きえ)」 人生の意味を自己の中に求めよ、仏法の中に求めよ、他に求めてはならない。
「無量」 無数。
「衆(しゅ)」 @会衆。
    A仲間。
    B僧。サンスクリット語で『サンガ』。
    C弟子たち。
    D世の人。
「善(よ)く」 心して。気をつけて。
「不放逸」 流されないこと。自分を甘やかさないこと。
「正覚(しょうがく)」 正しいさとり。
「常存者(じょうそんしゃ)」 変わらず存在し続ける者。
「原始仏典」 ブッダの教えのもっとも古い形のものが記されているお経。
「所以(ゆえん)」 わけ。理由。

「大乗仏教」 自分一人が救われればいいというのが小乗仏教(上座部仏教)であるのに対し、大乗仏教は、『自分』ではなく、他をも含めた『自己』の救いを説く。大乗経典は、般若経(はんにゃきょう)、法華経(ほけきょう)、維摩経(ゆいまきょう)、華厳経(けごんきょう)などである。

「釈迦滅」 紀元前383年、釈迦牟尼(しゃかむに)(釈迦族出身の聖者)死。
「煩悩(ぼんのう)」 我欲・我執(がしゅう)。
「灰身滅智(けしんめっち)」 身心ともに無に帰すること。無余(むよ)涅槃(ねはん)。
「寂滅(じゃくめつ)」 涅槃(ねはん)。我欲・我執が無いこと。
「声聞(しょうもん)」 仏の教えを聞いてさとる者。
「声聞(しょうもん)乗(じょう)」 声聞(しょうもん)のための教え。
「縁覚(えんがく)」 外縁(げえん)(外部の現象)によって迷いを断って道理をさとる者。辟支仏(びゃくしぶつ)、独覚(どっかく)とも言う。
「小乗」 自分一人の救いを求める教え。
「誓願」 他人の幸福・救いのために自分を犠牲にしようと誓うこと。
「直伝(じきでん)」 直接伝えること。
「仏法(ぶっぽう)」 本当のいのち・生命の実物を実行すること。
「自負(じふ)」 誇り。
「小乗経典」 涅槃経(ねはんぎょう)、法句経(ほっくぎょう)、スッタニパータ(岩波文庫「ブッダのことば」)など。
「相承(そうじょう)」 仏法を受け伝えること。
「直々(じきじき)相伝(そうでん)」 直接に伝え継ぐこと。
「自己いのちが自己いのちする実物」 自己が自己に落ち着き、拠り所を求めて他へさまよい出ず、本当のいのちを実行している姿。


五、 釈迦の教えた個人修行の坐禅は、どうして一切度衆生の大乗誓願行につながるのか?


「坐禅」 『禅』はパーリ語などのインドの俗語のジャーナの音写。ジャーナは『禅定(ぜんじょう)』の意味。『定(じょう)』は『三昧(さんまい)』の意で、キョロキョロせず、アタマで握りしめていることを放(はな)すこと。放(はな)せば妄想(もうぞう)は脱落する。脱落したところが『定(じょう)』であり『禅』。坐(すわ)って『禅』を実行するのが『坐禅』。

「一切度(いっさいど)衆生(しゅじょう)」 一切の衆生を度(ど)す。『衆生』は生きとし生けるもの。
「大乗」 大きい乗り物。ちっぽけな自分の救いを求めるのではなく、全宇宙の生きとし生けるものすべての救いを求めること。
「誓願」 生きとし生けるものすべてを救おうと誓い、その誓いが成し遂げられない限り、自分は救われようとしないと誓うこと。
「行(ぎょう)」 修行。
「声聞(しょうもん)」 自分だけ救われようとして、釈迦の教えを守ること。
「縁覚(えんがく)」 師匠なしに、迷いを断ち、理法を悟ろうとすること。『独覚(どっかく)』『辟支仏(びゃくしぶつ)』とも言う。
「煩悩(ぼんのう)」 むさぼり、怒り、愚痴(ぐち)の三つの毒を根源とする迷い。
「教化(きょうけ)」 教導感化の略。言葉で教え、行いで示すこと。
「菩提樹下(ぼだいじゅか(げ))」 菩提樹は桑(くわ)科に属する常緑喬木(きょうぼく)。その下で釈迦が坐禅した。
「成道(じょうどう)」 成仏(じょうぶつ)得道(とくどう)の略。自己が自己に落ち着き、真理と一つになること。
「灰身滅智(けしんめっち)」 身心ともに全くの無に帰すること。無余(むよ)涅槃(ねはん)とも言う。
「梵天(ぼんてん)」 万物の根源ブラフマン(梵(ぼん))の神格化。
「勧請(かんじょう)」 仏が世に出て仏法を説き、衆生を救ってくださるよう請(こ)い願うこと。
「個別である自己」 自と他と二つに分かれた自己。
「自己が自己になる」 自と他と二つに分かれる以前に返る。
「普遍性」 二つに分かれる以前のところ。天地いっぱいのさま。いのちそのもの。
「法」 サンスクリットで『ダルマ』。真理。根源的な道。本当の実在。天地いっぱい。
「阿毘逹磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)」 小乗仏教教理の集大成書(しゅうたいせいしょ)である大毘婆沙(だいびばしゃ)論の綱要書(こうようしょ)(主要なところを抜き書きしたもの)。世親(せしん)の著。
「自相(じそう)」 個別のすがた。

「法華経(ほけきょう)」 妙法蓮華(みょうほうれんげ)経(きょう)の略。大乗経典の一つ。永遠の生命としての仏を讃(たた)えたもの。二十八品(ほん)(篇(へん))より成る。以下の七篇(へん)が法華七喩(ほっけななゆ)として知られている。
  第三譬喩(ひゆ)品(ほん)の火宅(かたく)喩(ゆ)
   衆生がこの世で苦しんでいるのを、焼けつつある家の中にいることにたとえたもの。家の中で遊んでいる子供たちは父が呼んでも出ようとしない。そこで父は「羊車(ひつじぐるま)・鹿車(しかぐるま)・牛車(うしぐるま)などの珍しいおもちゃがあるから」と言って子どもたちを誘い出した。
  第四信解品(しんげほん)の窮子(ぐうじ)喩(ゆ)
   長者の子が幼くして父を捨てて家を出て、成長して困窮(こんきゅう)した。たまたま長者がこれを尋(たず)ねあてることが出来たが、その子は恐れてまた逃げ去った。そこで長者は策(さく)をめぐらし、彼を雇い人となし、漸次(ぜんじ)に上げ用(もち)いて、ついに自分の実子であることを明かし、一切の財宝を与え終わった。
  第五薬草(やくそう)喩品(ゆほん)の薬草(やくそう)喩(ゆ)
   同一味(どういつみ)の慈雨(じう)によって小薬草・中薬草・上薬草・小樹(しょうじゅ)・大樹(だいじゅ)がそれぞれ成長することを、修行者のさとりの段階にあてはめて説いたもの。
  第七化城(けじょう)喩品(ゆほん)の化城喩
   悪路(あくろ)を経て目的地におもむく隊商の指導者が、疲れて引き返そうとする隊員たちに対して、途中に幻の城を現出せしめ、それを見せて疲れをいやさせ、ついにその後真の目的地に向かってゆくというたとえ。
  第八五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)の衣珠(えしゅ)喩(ゆ)
   ある人が、友人の家に来て酒に酔って寝てしまった時、友人は、所用があったので、宝の珠(たま)をその人の衣服の中に入れて出て行った。その人はそのことを知らないで帰途につき、他国に流浪(るろう)して貧困に苦しんでいた。その後友人に会い、つぶさにそのことを聞き知って富裕になっ
たというたとえ。
  第十四安楽行品(あんらくぎょうほん)の髻珠(けいしゅ)喩(ゆ)
   転輪(てんりん)王(偉大な統治者)が諸国を討伐(とうばつ)するに当たり、兵士のうちで最も功労のある者には、王の頭の上に束(たば)ねた髪(もとどり)の中にある珠(たま)を与えたというたとえ。
  第十六如来(にょらい)寿量品(じゅりょうほん)の医子(いし)喩(ゆ)
   良医の子が毒薬を飲んで苦しんでいる時、父親が良薬を与えてこれを治癒(ちゆ)させたたとえ。
  なお、『観音経(かんのんぎょう)』は第二十五観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)の通称である。

「諸法(しょほう)実相(じっそう)」 そのものがそのものに落ち着き完結していること。私はあくまでも私であり、認知症になっても私であり続け、生きても死んでも私であることに変わりはない。私は、永遠の命、復活の命そのものだからである。

「自が他と出入りする」 自分が他人とやり取り貸し借りする。これは妄想の世界。
「いのちの中味(なかみ)内容」 永遠のいのちの中に展開する風景。

「三界(さんがい)」 生死(しょうじ)流転(るてん)する迷いの世界。欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)。
  @ 『欲界(よくかい)』 婬(いん)欲・食欲の二欲を有するものの住むところ。
     この中には、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)の六道(六趣(しゅ))がある。
     天上(てんじょう)には、1.四天王天(してんのうてん) 2.忉(とう)利天(りてん) 3.夜摩天(やまてん) 4.兜率天(とそつてん) 5.楽(らく)変化天(へんげてん) 6.他化(たけ)自在天(じざいてん)がある。
    なお『天』は神々また天人の意味。
  A『色界(しきかい)』 婬(いん)欲・食欲の二欲を離れたものの住むところ。
     色界は、初禅・第二禅・第三禅・第四禅の四つに分かれており、さらに十七天に分かれている。
     T.初禅
      @梵(ぼん)衆天(しゅてん) A梵(ぼん)輔天(ほてん) B大梵天(だいぼんてん)
     U.第二禅
      @少光天(しょうこうてん) A無量光天(むりょうこうてん) B極光(ごくこう)浄天(じょうてん)
     V.第三禅
      @少浄天(しょうじょうてん) A無量(むりょう)浄天(じょうてん) B遍(へん)浄天(じょうてん)
     W.第四禅
      @無雲天(むうんてん) A福生天(ふくしょうてん) B広果天(こうかてん) C無煩天(むぼんてん) D無熱天(むねつてん) E善(ぜん)現天(げんてん) F善(ぜん)見天(けんてん) G色究竟天(しきくきょうてん)
  B『無色界(むしきかい)』 物質を離れたものの住むところ。
     無色界は、1.空(くう)無辺処(むへんじょ) 2.識(しき)無辺処(むへんじょ) 3.無所有処(むしょうしょ) 4.非想非非想処(ひそうひひそうじょ)に分かれる。

「直(じか)に」 直接に。まっすぐ。

六、 釈迦の成(じょう)正覚(しょうがく)とは何か?

「成(じょう)」 成し遂げる。成就する。
「正覚(しょうがく)」 正しいさとり。
「思いの中では他が現れる」 アタマで作り上げる世界は、自と他から成っている。
「思いを手放す」 アタマで握っていることをやめる。
「修証(しゅしょう)」 修行とさとり。
「構造性」 自分ではない『自己』の普遍性(他と通じ合う広さ)と、『自分』としての個別性(他とやり取り貸し借
りできない狭さ)とが、坐禅の中で一つに実現・実習・実行されること。
「結跏趺坐(けっかふざ)」 両足を両腿(もも)の上に乗せて坐ること。
「瞑想(めいそう)」 目を閉じて物事を考えること。
「有情(うじょう)」 衆生。生きとし生けるもの。『非情・無情』は無感覚な草木(そうもく)・山河(さんか)を指(さ)す。
「成道(じょうどう)・成仏(じょうぶつ)」 仏道を成就すること。仏になること。さとること。
「悉皆(しっかい)」 皆ことごとく。
「有所得心(うしょとくしん)」 二つに分かれたものの一つにとらわれること。さとりと迷いに分かれた一方にとらわれること。
「普遍的いのち」 二つに分かれる以前の根源的いのち。
「不放逸(ふほういつ)」 怠けず、流されないこと。
「無常(むじょう)」 少しもとどまらないこと。
「滅(めつ)」 停止。行き着くところへ行き着くこと。
「現(げん)ずる」 現(あらわ)す。
「放逸(ほういつ)」 怠け、流されること。
「比丘(びく)」 托鉢(たくはつ)する修行者。
「自(みずか)ら」 自分自身において。
「致(いた)せり」 行(おこな)った。
「無量」 計(はか)り知れない。
「衆(しゅ)」 修行者たち。会衆。
「善(よ)く」 遺憾(いかん)なく。十分に。
「常存者(じょうそんしゃ)」 変わらず存在するもの。存在し続けるもの。
「此(これ)」 指し示す語。
「是(これ)」 提示語を代表してさらに強調する語。『すなわち』。
「如来(にょらい)」 釈迦。
「末後(まつご)」 最後。
「所説(しょせつ)」 説くところ。説かれたこと。
「仏法(ぶっぽう)」 本当のいのち・生命の実物。
「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」
  〈諸行(しょぎょう)〉あらゆる存在。
  〈無常(むじょう)〉変化してとどまらないこと。

「煩悩(ぼんのう)迷いの一物(いちもつ)」 坐禅をして気持ちがスッキリしたとか、からだがシャンとしたとかいうのは、感覚上のことであって、またスッキリしないとかシャンとしないというふうに変ってゆくものであるから、輪廻(りんね)の一(ひと)コマであり、迷いの一場面にすぎない。

「今々(いまいま)」 一瞬一瞬。

内山興正「いのち楽しむ」   水野吉治 2008/10/23

四、人が宗教を求める本質的契機は何か?

「契機」 きっかけ。本質的事情。
「生長」 植物などが伸び育つこと。
「成長」は人間や動物などが伸び育つこと。物事が発展し大きくなること。 
「生死(しょうじ)ぐるみのいのち」 生まれ、生き、死んでゆくいのち。
「生死(しょうじ)ぐるみのいのちとして落ち着く」 アタマで考えたいのちではなく、考えても考えなくても実在するいのちに返る。アタマの思いを手放す。
「いのちがいのちを祈る」 いのちがいのちに返る。実在するいのちから宙に浮いてしまっているのがアタマの世界。そこから覚めて実在するいのちに返る。「祈る」とは一つになること。本来一つであるものが一つに返ること。自分とは違う実在を対象として、それに頭を下げ、その対象に対して頼みごとをすることではない。
「この二つ」 死にたくないという本能と、必ず死なねばならないという事実。
「潜在意識」 普段は自覚していないが、意識の奥底に存在して、常に人間の行動を方向付けているもの。
「断層」 地盤のくいちがい。
「思い」 アタマの働き。
「いのちの本質」 いのちがいのちである所以(ゆえん)。いのちをいのちたらしめている性質。
「一目に見渡す」 アタマで生と死と二つに分ける以前のナマのいのちに返る。
「本質的契機」 いのちに備わる不可欠の要素、原因、事情。
「迷信」 迷妄、不合理な信仰。
「狂信」 理性を失った、狂気の信仰。
「淫祠(いんし)」 祭ってはならぬ神を祭った祠(ほこら)・社(やしろ)。
  「淫祀(いんし)」 祭ってはならぬ神を祭ること。「祀」巳(み)は蛇の形。自然神を祭ること。
「邪教」 世に害毒を流す宗教。
「託宣(たくせん)」 お告げ。

五、宗教は、生まれ、生き、そして死んでいく自己の問題であるならば、なにも他者からの教えを俟(ま)つ必要はないのでないか?

「知られることないことぐるみの自己」 自分が知っている自己だけでなく、自分が知らない自己・自分を超えた自己。それらすべてを含んだ総体としての自己。
「自分には届かず」 自分の思いでは届かない。
「自己いのち」 いのちである自己。自己であるいのち。
「所以」 わけ。理由。

六、宗教の名のもとにハッタリをいう大山師やインチキ詐欺師が横行することが多いのはどうしてか?

「山師」 投機などをする人。他を欺いて利得をはかる人。
「契機」 きっかけ。動因。
「禁忌」 忌むべきこととして禁ずること。
「思いそのものの死」 思いがなくなること。
「人情」 人心の自然の状態。
「蔵する」 おさめたくわえる。
「潜在意識」 自覚されずに働く意識。
「皮相的な」 うわべの。表面的な。
「思いの展開する生存世界」 思いには、死は見えず、ただ生きることしか見えていない。ただ生きることだけを目的として、死を切り捨てた生命は、もはや『生命』と言わず、『生存』と言う。それに対して、思いを超えたいのちは、生と死を含み、生と死に分かれる以前のいのち。
「生と死の絶対矛盾」 生はどこまでも生であり、思いの中では決して死とはならない。また、死はどこまでも死であって、生からは見えず理解されない。
「要因」 主要な原因。
「無知蒙昧」 人知が開けず、物事に暗いこと。
「カルト」 異教。にせ宗教。社会問題を起こす新宗教。
「跛行」 びっこを引いてゆくこと。釣り合いのとれないこと。
「生死ぐるみのいのち」 死を含み、絶えず死に直面しているいのち。

七、淫祠邪教と真実宗教との間に、それを識別する基準が本来あるものなのか? もしあるとすればそれは何か?

「己見」 自己にとらわれた考え。
「正師」 仏法を正しく伝える師匠。
「区切りとった自分」 アタマで『生命的』地盤のいのちから区切り取られ、普遍的地盤から切り離された『生存的』自己。
「有所得心」 現象的に利益があり、手ごたえのあるものだけを握って、それに執着する心。
「自他生死差別心」 自分と他人とか、生と死とか、二つに分かれた相対の現象だけを見て、二つに分かれる以前の絶対の姿に気づかない心。
「不二(ふに)」 (仏教では『ふじ』と読まず『ふに』と読む。)二つに分かれる以前。
「誓願」 他人の幸福・救いのために自分を犠牲にしようと誓うこと。
「グループ呆け」 集団の中で正常な判断力を失い、自分の属する集団が絶対正しいと思い込んでしまうこと。
「求道心」 (仏教では『きゅうどう』と読まず『ぐどう』と読む。)真理・真実を求め、それに生きようとする態度。

第1章のまとめ
 昔は宗教が、医学、政治、社会福祉、道徳、その他の役割を果たしていたが、今やそれぞれ専門化され分業化されて、宗教の出番はなくなっている。さらに「世の終わりが来る時に、この宗教を信じておれば助かる」という宣伝など、知性ある現代人なら信じる者はいないであろう。また、自分が死んだらどうなるのかというような不安に対しても、宗教的神話に究極的解決を期待することはできない。では宗教の役割とは何か。「いつかは必ず死ななければならない」という事実のみが、宗教による解決を必要とする。その解決を提供できないで、目先の健康や幸福をエサにして人々をだまして金を取るインチキ宗教がいまだに跋扈(ばっこ)している。「自己いのち」について教える本物の宗教をこそ、私たちは求めねばならない。

第二章 自己への道
一、一体自己は何のために生きねばならないのか? 

「自他不二(ふに)」 自分と他人と分れる以前。自分意識と他人意識が萌(きざ)す以前。思いをやめたところ。
「生死(しょうじ)不二(ふに)」 生と死と分れる以前。アタマで生と死を分別する以前。思いをやめたところ。
「真実自己」 ふだん自分と思っているのは肉体のこと、または思いのこと。本当の自分は肉体でも思いでもなく、肉体と思いと分れる以前のところ。厳密にいうと、『自分』と『自己』とは違う。思いで他人と『分』けたものが『自分』。
「自己いのち」 『自分と他人』、『生と死』をアタマで分けることをやめれば、『自己』即『いのち』。
「春に目覚める頃」 性に目覚める頃。
「一瞬の思いは永遠の思い」 日常の中にも、ふと萌す思いが永遠を開示する。永遠が、日常の意識の割れ目から姿を覗(のぞ)かせる。
「愚図(ぐず)る」 駄々(だだ)をこねる。
「本然」 生まれつき。自然のまま。
「新陳代謝」 新しいものと古いものが入れ替わること。メタボリズム。
「最基底」 もっとも基礎となる底辺。
「上部構造」 社会の経済機構(下部構造)の上に築かれた政治・法制・学問・宗教・芸術など。
「志向」 目指すこと。意向。
「個人史」 個人の歴史。
「求道」 (仏教では『きゅうどう』と読まず『ぐどう』と読む。)真理・真実を求め、それに生きようとすること。
「誓願」 他人の幸福・救いのために自分を犠牲にしようと誓うこと。
   四弘誓願(しぐせいがん)
1.衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)。(いのちあるものは無数に存在するが、すべて救い取ることを誓う。)
2.煩悩(ぼんのう)無尽(むじん)誓願断(せいがんだん。)。(煩悩は尽きることがないが、すべて断ち切ることを誓う。)
3.法門(ほうもん)無量(むりょう)誓願学(せいがんがく)。 (真理は限りなくあるが、すべて学び取ることを誓う。)
4.仏道(ぶつどう)無上(むじょう)誓願(せいがん)成(じょう)。 (相対世界を超える道は無限に遠いが、必ず成し遂げることを誓う。)

二、宗教が単に功利的あるいは民族的のものでなく、普遍的自己についての教えであるとするならば、例えば仏教とキリスト教との間に何か通じるものがあっていいのでないか? 

「功利的」 自分の利益になるかどうかということだけを考える態度。
「普遍的」 すべてに通じること。
「黙想」 神と神に関連のある事柄について想う。
「汝等(なんじら)しずまりて我(われ)が神なることを知れ」 文語訳ではこのように訳されているが、新共同訳では、「力を捨てよ、知れ、わたしは神。」と訳されている。要するにアタマの思いをやめることである。
「普遍的自己」 アタマの思いをやめたところに気づかれるナマの自己。
「具体普遍」 その反対が「抽象一般」。「具体普遍」は、生きたいのちであるが、「抽象一般」は、いのちを持たない、考えられた概念。「具体普遍」はだれにも通じるいのち。

内山興正「いのち楽しむ」 2008/06/07

水野吉治
T 宗教と人生
第一章 宗教への道
一、 今どき宗教や神は、なお何か意味を持つものなのか?


「いのち」 生理的いのちではなく、生と死を超え、生と死との二つに分かれる以前の「不二(ふにいのち」。
「楽しむ」 感覚的に楽しむのではなく、感覚を超え、苦と楽との二つに分かれる以前の「根源的・絶対的な〈楽しむ〉」。
「有為転変」 
    〈有為(うい)〉原因があって、縁に触れて生じたもの。勢力・寿命が尽きれば消えてゆくもの。
    〈転変(てんぺん)〉生滅・変化すること。
「領野(りょうや)」 領域・分野。
「天変地異(てんぺんちい)」 天に起こる変動と地上に起こる異変。
「それかあらぬか」 それであるか、それでないか、確かではないが。
「あざとい」 小利口な。あくどくて抜け目がなく、いやらしい。


二、 近い将来、世の終わりが来るという新宗教の予言は信ずべきか?

「新宗教」 伝統的宗教団体を基盤とせず、民衆を基盤とする宗教。仏教もキリスト教も、その発生当時は新宗教であった。現代で代表的な新宗教の一つは、オウム真理教(現・アレフ、ひかりの輪)。正しい宗教か邪教かを見分けることが大切。
「常套(じょうとう)」 ありふれた仕方。決まった仕方。
「山姥(やまんば)」 深山に住んでいるという女性の怪物。鬼女(きじょ)。
「太陽系」 地球・太陽を含む天体の集まり。 
「銀河系宇宙」 太陽系を含む天体の集まり。
「私という個の死の中に、私にとってのすべての世の終わりがある」 私が死んだ後に、まだ世界が残っているのではない。私が死ねば、世界を認識することが無くなるのだから、世界が無くなるのと同じこと。
「胡散臭(うさんくさ)い」 疑わしい。怪しくて油断できない。
「知性」 理解する力。
「愚民主主義(ぐみんしゅしゅぎ)」 有権者が、各自のエゴイズムを主張して無方向に突っ走る状態。権力者やマスコミが利益誘導しやすい。衆愚政治。
「人間的思いや、人間社会の約束事」 「楽して得しよう」という思いや、「幸福とは金と健康」という思い込み。
「死は、この私自身の思いが死ぬこと」 死を願ったり、逆に死を恐れたりする、その願いや恐れ自体は、死によって無くなるということ。体の死は、その体が生み出した思いも死んでしまうということ。「死んだらどうなるのか」というその思いも死んでしまうこと。「死んで楽になる」というその「楽」も無くなるということ。要するに、思いの主体が無くなることであり、「私は死ぬ」とか「私は死んだ」ということも認識できなくなること。
「死ぬという概念」 自分が死ぬということをアタマで想像すること。
「自分自身の死の地盤」 「自分が死ぬ」ということを、あらゆる考えの出発点・帰着点とすること。

三、 死者の霊魂や死後の世界は本当に存在するものなのか?

「恐山(おそれざん)」 青森県下北半島の中央にある死火山。死者への供養の場とされる。
「口寄(くちよ)せ」 生者や死者の霊魂に語らせること。
「巫女(みこ)」 神楽(かぐら)・祈祷を行い、神意を問うたりする未婚の少女。特に現在の恐山を中心とする東北地方では、盲目または弱視の高齢女性がイタコと呼ばれて口寄せを行っている。
「悪業(あくごう)」 地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間・天上を現出する思いと行い。
「業力(ごうりき)」 思いと行いが原因となって、結果を引き起こす力。勢力。
「残映」 思いと行いが残した影響の名残り。
「善因善果、悪因悪果」 よい思いとよい行いが、よい結果を招き、悪い思いと悪い行いが、悪い結果を招くということ。
「六道」 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの心境とそれが生み出す世界。
「輪廻」 迷いの世界に生まれかわり死にかわりして、六つの心境とその世界をは果てしなく廻(めぐ)り、さ迷うこと。
「因果歴然(いんがれきねん)」 明らかに原因結果の法則が働いていること。
「死は決して生きている間の思いの続きではない」 アタマで考えれば、死ということを「生が死ぬこと」と思うが、実物の生と死はそうではない。「生は生、死は死」として、「生はどこまでも生、死はどこまでも死」である。生と死とは断絶しており、つながらない。「生が死ぬ」とは、生体が死体になったのを見て、生と死とをつないで、連続させているだけである。生も死もアタマが作り出した概念であって、単なる名前である。実物の生と死とは名前を持たず、目に見える形を持っていない。アタマが死ねば、アタマが作り出していた生死という形も無くなるのである。
「断滅(だんめつ)」 存在や連続が断たれ、無くなること。
「生滅滅已(しょうめつめつい)」 生(しょう)をも滅をも滅すること。生も死も無くなること。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
    〈諸行〉あらゆる存在。
    〈無常〉変化してとどまらないこと。

「ゼロのリアリズム」 ―赤岩栄と椎名麟三が目指したもの 2008/04/22

                     水野吉治

 椎名麟三と赤岩栄は、一九四八年(昭和二三年)に、「ドストエフスキー研究」(「個性」(思索社)六〜八月号)という座談会で、はじめて出会います。
椎名三六歳、赤岩四四歳でした。
その前年は、椎名が「深夜の酒宴」を発表した年です。

 その頃、赤岩は、日本基督教団代々木上原教会牧師として、キリスト教会が外国の援助に頼らず、教派を超えて、自立と連帯の方向に進むよう、熱心に活動していました。
一九四八年には、赤岩は、日本基督教団が社会的実践に積極的に関わるべきだと提唱して、日本共産党を支持する発言をしたため、教団の指導者層と衝突します。
ちなみに、同年赤岩は「ドストエフスキー復興」という論文を「思潮」(昭森社)八月号に書いています。

 こうして、赤岩と椎名は、ドストエフスキーと社会主義という二つの流れを共有することになります。
しかし、実はそれ以前から、二人は同じ方向に向かって歩み始めていたのです。

 赤岩は、椎名と同じように、若くして社会主義の洗礼をうけ、二八歳で、「マルクス主義と基督教」という論文を、「福音と現代」(長崎書店)という雑誌に連載しています。
一方、椎名は、二〇歳で日本共産党青年同盟員になります。
そして、赤岩四四歳のとき、上記の「ドストエフスキー研究」という座談会で、三六歳の椎名に出会うのです。

 二人の共通点は、思想の点だけではなく、気質の面でも共通するものがありました。
 
赤岩は、はげしい気性の持ち主でした。
好川貫一によれば、赤岩の父は広島県三次(みよし)教会の牧師でしたが、ある日曜日、礼拝説教をしていた最中に事件が起こりました。
当時一七、八歳の赤岩が、突然会衆席から立ち上がり、説教している父の方へ突進して、
「お父さん! 
あなたは偽善者だ! 
あなたが今話したことはウソじゃないか。
あなたの今の言葉は、あなたが家庭でいつも言っていることと全然違う。
あなたはそんなところからみんなに説教する資格はない。
降りろ!」
と叫んで、父の腕をつかんで、講壇から引きずり降ろしたというのです。
(「若き日の赤岩栄」赤岩栄著作集(教文館)月報6)

 赤岩は、自分と違う考え方をする相手を絶対許すことができず、そのために場所柄もわきまえないで、無用の騒動を引き起こしがちでした。

 椎名も、赤岩に劣らず、人に突っかかることがよくありました。

 北森嘉蔵(かぞう)(四六歳ごろ)が椎名(五一歳ごろ)と同席したとき、椎名に
「文学は、まず面白くなけりゃあ駄目だね」
と言ったところ、椎名が
「先生、『面白さ』ってなんですか」
と聞いてきました。
当時北森は、東京神学大学教授で、千歳船橋(ちとせふなばし)教会牧師もしていたので、椎名が『先生』と呼んだのです。
北森が、
「『面白さ』というのは、黒沢明の『椿三十郎』のようなものですね」
と言うと、椎名は色をなして怒り出し、立ち上がると、その部屋で三々五々しゃべっていた人たちに向かって、北森を指差しながら、
「おおい、みんな来い。
ここに『椿三十郎』に無条件降伏したヤツがいるから、顔を見てくれ。
おれは、これまで北森先生を大先生として尊敬していたけれども、今日からやめた。
『椿三十郎』に無条件降伏した人間を尊敬するわけにはいかん」
と言ったそうです。
(北森嘉蔵「神を訴訟する―椎名麟三」(講談社)《「愁(うれ)いなき神」所収》)

 これらの逸話からわかるように、赤岩も椎名も、相手の見解が許せないとなると、もはや自分を抑えることができなくなります。
そして、相手が権威の座にある場合には、そこから相手を引きずりおろさずにいられなくなるのです。
 
さらにもう一つ、両者に共通する点をあげるならば、母に対するコンプレックス(意識下に抑圧された感情)があります。

 椎名の母は、ヒステリックな性格の人で、椎名に対して、しばしばカッと腹を立て、竹箒(ぼうき)を振り上げて椎名を追い掛け回したことが、作品に描かれています。
その母に対しては、母から逃げたいという感情と同時に、
「母のいない世界なんか、生きて行くことはできない」
という愛情も感じていました。
(「猫背の散歩」(椎名麟三作品集七《講談社》)
「母の像」(河出書房)では、母に対する愛憎の感情を冷静に描こうとしていますが、それでも、「自由の彼方で」を書くに際して自らの過去に対して取ったユーモアの視点を取り得ず、「母の像」では、すでに自殺した母を、
「戸籍の上で生きつづけさせることに決めていたのだった」
という表現でわずかに「復活」を暗示させながら、母と自分との間の距離を確保しつつも、なお母が椎名を支配し続けていることを告白しているように見えます。
ここでは「自由の彼方で」ほどの完璧な復活の視点は感じられません。
つまり、母に対するコンプレックスは解消されていなかったのではないでしょうか。

 赤岩の場合は、先述のような、父に対する攻撃的な態度とは正反対に、母に対しては同情的で、母のことを「マザー」と呼ぶような、母に対する屈折した愛情の照れ隠しが感じられます。
好川貫一によれば、あるとき赤岩は、
「おやじは、やはり田舎伝道師なんだが、これ(父)はどうでもいいんだ。
おやじと別居して、ひとり広島で伝道しているマザーが気の毒でね。
ぼくに神学校へ入学してくれと、泣いて頼むんだ。
抵抗できないよ」
と述懐したそうです。
(「若き日の赤岩栄A」赤岩栄著作集(教文館)月報3)
そのときの複雑な想いを、赤岩は次のように表現しています。
「『いやです。』
ただひと言、私は母に答える外なかった。
(中略)
母は、私の拒否にあって、女が恋人に意中をうちあけて、それを拒まれた時よりも、もっと動揺したように見えた。
真っ暗な洞窟の中に、まだ一条の光がさし込んで来ていたのに、ついに、この一条の光さえ、消えてしまったのだ。
その一条の光は、母にとって私であった。
(中略)
私は、痩せて薄い母の体を抱きしめようと思った。」
(「神を探(たず)ねて」《前出赤岩栄著作集第三巻》)

結局赤岩は神学校に入ります。
母に対するコンプレックスがそうさせたのでしょう。

 赤岩の場合も椎名の場合も、父の存在は表舞台から影を潜め、母の存在が「演出家」としての役割を果たしているような印象を受けます。
エディプス・コンプレックス(父に対する反抗、母に対する愛着)とはこのことを言うのでしょう。

女性が「反赤岩」の演出家の役割を果たした場面は、代々木上原教会の分裂という事件に現れています。

赤岩が、日本共産党へ入党すると宣言したあと、それに批判的な教会員のうち、二〇数名の女性会員が、教会を脱退して新しく千歳船橋教会をつくり、北森嘉蔵を牧師として迎えました。
一九五〇年(昭和二五年)五月のことです。
(前述の椎名と北森とのやりとりは、一九六三年(昭和三八年)ごろです。)
それ以前にその女性会員たちの目に映っていた赤岩は、
「可愛い坊やみたいな我がままなところや、世間知らずのどこか初心(うぶ)なところ」
があり、
「自分の奥さんには頭が上がらなかった」
すがたでした。
一方、北森は、
「母親と叔母に大事にされて、三五歳の今日まで独身で通している」
「清らかな感じ」

「中性的」

「清潔な」
人柄で女性たちを惹きつけていたようです。
北森と赤岩は、性格的に共通点を有しながら、赤岩が女性に対して、厳しく、軽蔑的な態度であったのに対して、北森は穏やかで、女性たちを優しく扱ったようです。
(竹本哲子「私の出エジプト」《日本之薔薇出版社》)
おそらく、赤岩はコンプレックスが生み出す緊張のため、女性の心理が見えなくなり、女性を敵に回してしまったのではないでしょうか。

 さて、いよいよ本題に入らねばなりません。

 赤岩は、椎名に洗礼を授け、自分の教会に会員として受け入れた後、一九五〇年(昭和二五年)十二月、「指」という雑誌を創刊します。
椎名は赤岩に協力して、それ以後一九六四年(昭和三九年)四月まで十四年間、一度も休むことなく、「指」への執筆を続けます。
椎名との「蜜月」を象徴する次のような赤岩の言葉があります。

「復活において、死から解放された人間として、この死を極限とする厳しい世界とともにあり、それとともに生きることによって成立する厳しさとゆるめの中に、意識と世界との並存の可能性はあり、また真の芸術の条件であるユーモアが成り立つのである。
こうした文学の道を見出したのは世界にただひとり、椎名麟三ではないであろうか。」
(「新しい人間誕生―これからのキリスト者」(前出赤岩栄著作集第七巻)一九五五年《昭和三〇年》)

まさに恋人にささげる最大級の賛辞であり、愛の告白ではないでしょうか。

しかし、この十四年の蜜月も、椎名の執筆中止通告によって、終わりを告げることになります。

 椎名が、赤岩の思想について行けなくなったのは、「非神話化」という問題をめぐってでした。

 そこで、まず、赤岩の「ブルトマンの非神話化の問題をめぐって」(山本和編「アジアにおけるキリスト教」(創文社)所収・一九五五年)を参考にして、非神話化とは何かということを考えてみたいと思います。

 聖書は、すべて古代的世界観の枠組みの中で語られています。
神・天使・悪魔・陰府(よみ)・天国・地獄などの概念を使って物語られる内容は、神話と呼ばれます。
それは、自然科学的世界観とは、とうてい相容(あいい)れないものであって、現代人が、聖書の真理に近づこうとする時の大きな障害です。
その障害を取り除こうとする試みが、非神話化と呼ばれる作業です。

では、そもそも神話とは何でしょうか。

私たちは日常「お日様が東から昇って、西に沈む」と言います。
そして、自分の言っていることが、どこかおかしいとか、何か間違ったことを言っている、というふうには思いません。
他の人も、私たちが、天動説をとなえているとも、非科学的だとも言わないでしょう。
たしかに、地球の自転の結果、日が昇ったり沈んだりするように見えるだけです。
そこで、「日が昇った」ということを、あえて「科学的」に言おうとして、
「私が乗っかっている地球が一回りした。
そのため、私が地球上に立っている地点を基準点とすると、太陽が、「東」という相対的な方向から昇っているように見えるが、実は私の立っている地点が、「東」という相対的な方向へ向かって回転しているのだ」
と言ったとすると、聞いている人は、
「この男はアタマがおかしいんじゃないのか」
と思うでしょう。
「日の出」や「日没」と言うような表現を使わないで、地動説的に説明しようと必死になればなるほど、周りの人は、私たちが何を言っているのか、ますますわからなくなってしまうでしょう。

「東」と言っても、「西」と言っても、「昇る」と言っても、「沈む」と言っても、すべて相対的な表現なのです。
わたしたちが生きている世界は「相対」の世界なので、そこには、「絶対的な東」も、「絶対的な西」もありません。
「上」と言っても、「下」と言っても、何かを基準として、「その上」、「その下」と言えるだけで、「絶対的な上」もなければ、「絶対的な下」もないのです。

私たちが、日常使っている言葉は、すべて、相対世界の言葉であって、絶対的なものを表現しようとすれば、「神話」という形式を使わざるを得ないのです。

地動説も、天動説も、天体の動きを理解し、表現するための「お話」に過ぎません。
「お話」は、「道具」であって、絶対的な真理ではないのです。
それらは、いわば「科学的」という包装紙で格好をつけているだけで、どれも中身は「神話」なのです。
地動説が「科学的」であって、天動説は「非科学的」であり、「迷信」であると決め付けたりするのは、自分の立場が「絶対」であり、「不動」であるとする態度であって、それこそまさに「天動説的」態度と言わねばなりません。
本来「科学」とは、あらゆる常識を疑ってかかるところから始まるのです。
「科学」が「常識」となってしまっている場合には、その「常識」を疑ってゆかなければ、本当の「科学的態度」とは言えません。

たしかに、現代では、地動説が「通説」となっています。
「通説」に異を唱えるのは、よほど非常識な人間か、自信のある人間でしょう。
なぜなら、「通説」は、たいてい「自称科学者」のお墨付きで権威付けられていると思われているからです。
でも、いったい何人の人が、自分で「通説」を検証したのでしょうか。
「みんながそういうから、そうなんだ」
で済ませているというのが実情ではないでしょうか。
地球が太陽の周りをグルグル回っているのを見た人があるでしょうか。
宇宙飛行士でも、自分の乗っている宇宙船を基準にして、地球と太陽の動きを見ているだけで、見えない部分は仮説で補っているので、全体を見ているような気がするだけではないでしょうか。
そもそも人間は、宇宙全体をひと目で見ることはできないのです。
「宇宙全体」という「神話」をでっち上げているにすぎません。

自分の神話が絶対正しいという立場を、原理主義といいます。
赤岩は、原理主義に対する強い拒絶反応を持っていました。
その結果、「非神話化」に始まって、「非教会化」、「非キリスト教化」、「非宗教化」へと突っ走りました。
教会から、講壇を取り払い、赤岩は会衆席と同じ平面に立って話をしました。
従来の讃美歌はなくなり、赤岩の作った讃美歌が歌われました。
オルガンが売り払われ、代わりにピアノで伴奏されました。
献金がなくなりました。
「日曜学校」も廃止されました。
すべて「非神話化運動」の行き着いたところでした。

椎名は、この有り様に反発しました。
そして、赤岩が、聖書の非神話化を推し進めて、一九六四年(昭和三九年)「キリスト教脱出記」(前出赤岩栄著作集第九巻)を公刊するに至って、とうとう決定的な決裂を見ることになります。

一九六六年(昭和四一年)、椎名は、代々木上原教会を去って、三鷹教会(牧師石島三郎)に転会します。
続いて「上原集団脱出記」(「兄弟」《基督教学徒兄弟団》)、「善魔」(「文学界」)を発表し、積極的に、半ば感情的とも取れる赤岩批判を展開します。
ただし、椎名の赤岩批判は、一九五六年(昭和三一年)からすでに始まっていました(「信じられないということ」《「指」七一号》)。

一方赤岩は、相次ぐ椎名の攻撃に対して沈黙を守りました。
赤岩の健康状態がすこぶる悪化していたからでもありましたが、かつて椎名の「三つの訴訟状」(「展望」一九四八年《昭和二三年》)に対して、「文学と神学―椎名麟三「三つの訴訟状」に」(「人間」(鎌倉文庫)同年)で反撃したような、高飛車な反論はしませんでした。
赤岩の死後発表された「椎名さんの作品」(筑摩現代文学大系第六六巻「椎名麟三集」月報二八)には、
「文学的方法論が、意識的に確立した場合、椎名さんにとって、それは作品創作の方法論というよりも、一つの獲得された《神学論》となってしまい、作品を産み出す上で、むしろマイナスではないかと私は憂えるのである。」
と書いていますが、「椎名麟三集月報」という制限を意識しているせいもあって、何か弱弱しい批判という印象をぬぐえません。
かつての盟友、というより昔の恋人をいたわるかのような、遠慮がちな語り口は何を意味するのでしょうか。

 赤岩は、最後まで、キリストの復活を自分の根拠にすえていました。
一九六六年(昭和四一年)十一月に胆道癌で亡くなる直前の六月、「曲り角に立つキリスト教」(前出赤岩栄著作集第九巻)という講演をしていますが、その中で次のように言っています。

「私が今、イエスと私との関係を持ちうるということ、それが復活信仰にほかならぬという人がもしあるなら、私は決してこの復活信仰を否定しようとは思わない。」

 その復活信仰こそ、赤岩と椎名を結びつけるものなのですが、椎名は、赤岩が、非神話化によって復活信仰を否定していると誤解したのです。
椎名にとっては、復活は、自分の文学の根拠であり、自分の生きる意味そのものなのです。
赤岩が非神話化を言い出したときには、自分の聖域を侵されるような危険を感じたのでしょう。

 椎名が、復活信仰を「聖域」と思い込んだのに対して、赤岩は、いくらキリスト教全体を否定しても、なお残るものが復活信仰だと信じていました。
実は、椎名も、一九五六年(昭和三一年)八月の代々木上原教会夏期集会での「信じられないこと」という講演の中で、

「信じる者も、信じられない者も、その両者を超えて、救われてあるのだ」

ということを語っています(前出「指」七一号)。
否定しても否定しても、なお人間を生かし続けているもの、それこそ復活なのです。

 否定しなければならないものは、自分が後生大事に抱え込んでいる神話とか聖域ではないでしょうか。
赤岩にとっては、自然科学的世界観が神話であり、椎名にとっては、聖書の復活の「記事」が聖域でした。
神話や聖域は、それにとらわれている者にとっては、「とらわれている」ということさえ気づきません。
「あなたはとらわれている」と、人から指摘されると、たちまち逆上し、激昂してしまいます。

 もともと、復活信仰や復活体験は、この時間と空間の相対世界の中では、「見えないもの」、「表現できないもの」、つまり、ゼロなのです。
赤岩は、いみじくも、自分の帰着点、自分の出発点を「零(ぜろ)」と表現しています(「指」一九六三年四月号)。
ゼロは決して他と衝突しません。
原理主義が紛争を引き起こすのは、ゼロではないからです。
復活が「空虚な墓」に象徴されるということは、復活がゼロだということです。

新約聖書ルカによる福音書二四章には、十字架にかかって死んだイエスを葬った墓に向かって、女たちが遺体に香料を塗るために行ったところが遺体はなく、輝く衣を着た二人の天使がいて、

「なぜ、生きておられる方を死者の中にさがすのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」

と言ったと記されています。

 復活は蘇生ではありません。
蘇生なら、またいつかは死なねばなりません。
復活は死を超えていますから、もはや決して死ぬことはないのです。
復活はあくまで「見えないもの」、「表現できないもの」であり、それをあえて表現しようとすると、「天国」とか「霊魂不滅」というような神話という形を取らざるを得ません。
復活は、どこまでも、ゼロなのです。
「無」なのです。
それを「有」として理解し、つかもうとすると、その手をスルリと抜けてしまって、手の中には何も残らないということなります。
何も残らないと分かった時の「悪足掻(わるあが)き」が原理主義なのです。

 椎名は復活のイエスを「美しい女」(「中央公論」一九五五年・昭和三〇年)というイメージで表現しようとしました。
赤岩が、非神話化という方法で目指したことを、椎名は、「美しい女」というイメージを使って、文学上で実践したのではないでしょうか。
復活を、直接表現しようとすれば、椎名の排斥した自然主義リアリズムに堕してしまうでしょう。
自然主義リアリズムでも社会主義リアリズムでもない、第三のリアリズムとしての「復活のリアリズム」こそ、椎名も赤岩も目指したところではないでしょうか。
それは、いわば「ゼロを視点とするリアリズム」、「ゼロのリアリズム」なのです。
(二○○八年三月二十九日)

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