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59 旧約聖書申命記25章1節〜27章26節  水 野 吉 治 2009/03/19

(1)鞭(むち)打ち(25章1〜3節)

「鞭(むち)」 革製の鞭、または杖(つえ)、またはこん棒。
「同胞(どうほう)が卑(いや)しめられる」 兄弟が人間扱(あつか)いされず、動物のように扱われる。

(2)脱穀(だっこく)する牛の保護(25章4節)

「口籠(くつこ)」 口にはめるかご。

(3)家名の存続(25章5〜10節)

レビラート婚(こん)の規定。夫が子を残さずに死んだ場合、跡(あと)取りを絶(た)やさないようにするため、夫の兄弟が未亡人になった妻をめとる習慣。

「イスラエル」 @紀元前1021年ごろ中近東に成立したユダヤ人王国の名前。南北分裂後の北王国名。
        Aヤコブの別名。
        B現代の国名

(4)組み打ちの場合(25章11、12節)

「急所」 性器。

(5)正しい秤(はかり)(25章13〜16節)

「あなた」「あなたたち」 イスラエル。

買うときには大きい重(おも)り・大きい升(ます)を使って多くもらい、売るときには小さい重り・小さい升を使って少なく渡すようなことをしてはならない。

(6)アマレクを滅ぼせ(25章17〜19節)

「アマレク」 エリファズの子、エサウの孫。エドムの地に住んでいた。その子孫の民を指す。
「嗣業(しぎょう)」 相続人が受け継ぐ財産。神から与えられる土地。

(7)信仰の告白(26章1〜15節)

「与えられる土地」 カナン。
「その名を置くために選ばれる場所」 中央聖所が設けられる場所。エルサレム。
「祭司」 いけにえをささげ、律法を教える職務。
「告白」 証言。神の救いに対する感謝・讃美。
「アラム人(じん)」メソポタミアからシリア地方にかけて住んでいたセム族。ヤコブ(イスラエル)の母リベカはアラム・ナハライムの出身であった。ヤコブはアラムに逃れ、そこで

ラバンに仕(つか)え、その娘ラケルとレアと結婚した。
「アラム・ナハライム」 聖書巻末地図1参照。ユーフラテス川とチグリス川にはさまれ、現在のイラクを含む地域。イスラエルの祖先アブラハムは、ウルを出発して、ハランを

経てカナンに入った。

イスラエル民族の略系図および移動地

アダム・エバ→アベル→ノア→セム→テラ→アブラハム→
(ウル⇒ハラン⇒カナン)
イサク→ヤコブ→十二部族→(エジプト)モーセ→(カナン)

「レビ人(びと)・レビ族」 ヤコブの子レビの子孫。祭司の補助をする職務が与えられている。申命記では、レビ人(びと)・レビ族はすべて祭司であり、祭司はすべてレビ人・レビ

族である。祭司とレビ人・レビ族との関係は解明されていない。
「寄留者(きりゅうしゃ)」 ヘブライ語はゲール。異邦人(いほうじん)。他国人。外国人。旅の者。
「十分の一」 収穫、収入の十分の一を献金、献納すること。
「汚(けが)れているときに」 汚れた身で。

(8)神の民(26章16〜19節)

「掟(おきて)」 ヘブライ語はフッカー。さだめ。ならわし。風習。
「戒(いまし)め」 ヘブライ語はミツワー。規定。命(めい)。
「法」 ヘブライ語はミシュパート。慣例。正義。道。
「魂」 ヘブライ語「ネフェシュ」。息。命。思い。気。精神。願い。望み。本心。欲望。

(9)石に掟を書き記せ(27章1〜8節)

「エバル山(やま)」 シケムの谷をはさんでゲリジム山の北側にある山。標高(海抜)938メートル。シケムの谷からの高さ427メートル。聖書巻末地図3参照。
「鉄の道具を当ててはならない」 汚(けが)してはならない。
「焼き尽くす献(ささ)げ物」 いけにえの全部を焼くことによって、人間の全面的な献身を表す献げ物。燔祭(はんさい)。
「和解の献げ物」 神の恵みに対する感謝と賛美として、いけにえの脂肪を祭壇で焼いて神に献げ、胸と腿(もも)とは祭司のものとし、残りは礼拝者が聖所(せいじょ)で食

べる。酬恩祭(しゅうおんさい)。

(10)呪(のろ)いの掟(おきて)(27章9〜26節)

「シメオン」 ヤコブの第2子。
「レビ」 ヤコブとレアの間に生まれた第3子。
「ユダ」
 1. ヤコブの第4子。イエス・キリストはその子孫。
 2. 部族名。
 3. イスラエル王国分裂後の南王国の名称。北王国の名称はイスラエル。
 4. ゼルバベルといっしょにバビロン捕囚から帰還したレビ人(びと)。(旧約聖書ネヘミヤ記12章8節)
 5. バビロン捕囚から帰還後、エズラの勧告に従って異民族の妻を離縁したレビ人(びと)。(旧約聖書エズラ記10章23節)
 6. セヌアの子。(旧約聖書ネヘミヤ記11章9節)
 7. バビロニアによって破壊されたエルサレム神殿の再建に際し、城壁の落成式に参与した長(ちょう)たちの一人。(旧約聖書ネヘミヤ記12章34節
 8. 上記7の際の祭司で楽人(がくじん)。(旧約聖書ネヘミヤ記12章34節)
 9. イエス・キリストの祖先の一人。バビロン捕囚前の人物と思われる。(新約聖書ルカによる福音書3章30節)
 10. 紀元7年ごろの住民登録のとき反乱を起こしたガリラヤ人。(新約聖書使徒言行録5章37節)
 11. イエスを裏切ったイスカリオテのユダ。シモンの子。
 12. ヤコブの子。イエスの12弟子の一人。
 13. イエスの兄弟の一人。
 14. 使徒パウロがダマスコで滞在した家の主人。
 15. バルサバと呼ばれるユダ。エルサレム教会の指導者の一人。
 16. 新約聖書ユダの手紙の著者。
 ここでは2を指す。

「イサカル」 1. ヤコブの第8子。
       2. 部族名。
       3. エルサレム神殿の門衛であったレビ人(びと)。
       ここでは2を指す。
「ヨセフ」 
 1. ヤコブの第11子。兄弟から憎まれ、エジプトに売られる。そこで宰相(さいしょう)となり、飢饉に悩むヤコブ一家をエジプトに移住させる。ヨセフからマナセ族とエフライム

族が出た。
 2. 部族名。通常ヨセフ族の代わりにエフライム族とマナセ族が部族名として用いられる。
 3. イサカル族で、イグアルの父。
 4. アサフの子。
 5. バビロン捕囚から帰還後、エズラの勧告に従って異民族の妻を離縁したバニ族の一人。(旧約聖書エズラ記10章42節)
 6. ヨヤキム時代の、シェバンヤ家(け)の祭司。
 7. イエス・キリストの祖先の一人。(新約聖書ルカによる福音書3章24節)
 8. イエス・キリストの祖先の一人。(新約聖書ルカによる福音書3章30節)
 9. イエス・キリストの母マリアの夫。
 10. イエス・キリストの兄弟。(新約聖書マタイによる福音書13章55節)
 11. イエス・キリストの母マリアの姉妹で、名をマリアという女性の子。(新約聖書マタイによる福音書27章56節)
 12. アリマタヤ出身の金持ち。イエス・キリストの遺体を引き取った。(新約聖書マタイによる福音書27章56節)
 13. バルサバともユストとも呼ばれるヨセフ。
 14. バルナバと呼ばれるヨセフ。
 ここでは2を指す。

「ベニヤミン」 ヤコブの末子(まっし)。ヨセフの弟。
「ゲリジム山(やま)」 シケムの南西3キロにある山。聖書巻末地図3参照。標高(海抜)881メートル。シケムの谷からの高さ381メートル。石灰岩でできている。
「ルベン」 ヤコブの長男。
「ガド」 1. ヤコブとジルパとの第1子。
     2. 部族名。
     3. ダビデ時代の預言者。
     ここでは2を指す。
「アシェル」 1. シケムの東の町。
       2. ヤコブとジルパとの第2子。
       3. 部族名。
       ここでは3を指す。
「ゼブルン」 ヤコブの第10子。
「ダン」 1. ヤコブの第5子。
     2. 部族名。
     3. イスラエルの境界の北端にあった町。
     ここでは2を指す。
「ナフタリ」 1. ヤコブの第6子。
       2. 部族名。
       ここでは2を指す。
「アーメン」 本当に。
「父の衣(ころも)の裾(すそ)をあらわにする」 父をはずかしめる。

付録 父の原理・母の原理

聖書で神を「父」と呼んでいる箇所は、旧約聖書では14か所(申命記32章6節、サムエル記下7章14節、歴代誌上22章10節、詩編68篇6節、詩編89篇27節、イザヤ書9章5節、イザヤ書63章16節前半、16節後半、イザヤ書63章7節、エレミヤ書3章4節、19節、エレミヤ書31章9節、マラキ書1章6節、マラキ書2章10節)です。新約聖書では、マタイによる福音書だけで約45か所あります。新約聖書全体では、おそらく300か所はあるでしょう。それに対して、旧約聖書・新約聖書を通じて、神を「母」と呼んでいる箇所は見出されません。これは何を意味するのでしょうか。
旧約聖書の宗教をモーセの宗教と言い表すことができるとすれば、新約聖書の宗教はイエス・キリストの宗教と言えるでしょう。モーセによって示された神は、恐ろしいまでに厳しく激しい神でした。それに対して、イエスによって示された神は、愛に満ち、徹底的に赦す神でした。モーセの神は、冷たく突き放す神、しかしそのことによって正しい方向へと導く神でした。イエスの神は、暖かく包み込み抱きしめる神、しかしそのことによって徹底的に罪を悔い改めさせる神でありました。モーセの神は、厳父(げんぷ)の顔の下に慈父(じふ)の心が隠(かく)されていました。イエスの神は、慈母(じぼ)の顔の下に賢母(けんぼ)の智慧(ちえ)が働いていました。神においては、愛と智慧(ちえ)が一つとなって働いているのです。
ではイエスは神を「父」と呼びましたが、なぜ「母」とは呼ばなかったのでしょうか。それは、「私の母」・「地上の母」を否定して、「万人の母」、「普遍的な母」を指(さ)し示したかったからではないでしょうか。「万人の母」、「普遍的な母」はこの地上には見出すことができません。地上での母は、強い愛の柵(しがらみ)に絡(から)まれて、天上に飛翔(ひしょう)することができません。それができるのは「父」だけなのです。
イエスが母マリアに対して、「婦人よ(口語訳:女よ)」と呼びかけた場面が新約聖書ヨハネによる福音書に2か所出ています。@2章4節と、A19章26節です。
まず@から見て行きましょう。
イエスは、弟子たちとともに、ガリラヤのカナでの婚礼の席に招かれます。そこにはイエスの母マリアもいました。親戚か親しい人の婚礼であったのか、母マリアはそこで台所の手伝いをしているうちに、祝宴に無くてはならないぶどう酒が足りなくなったことを知ります。そこで息子イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と告げます。それに対するイエスの言葉は、何とも冷たいものでした。「婦人よ(女よ)、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
かつてイエスは他の場面で、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか。神の御心(みこころ)を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と言っています。イエスには、神から与えられた使命があります。それは人類の罪を背負って十字架につくことでした。その使命を果たすまで、そしてその使命を母マリアが理解する時まで、待たねばなりません。イエスは、母マリアに、自分とともに、祈りつつ、その時を待つことを求めたのでした。その時こそマリアがイエスの真の「母」になるときなのでした。しかし今は、母マリアにとって、それは不可能なことでした。イエスは水をぶどう酒に変える奇跡を行います。イエスの苦しい思いが感じられる場面です。
次にAを見ましょう。
イエスは、祭司やファリサイ派の陰謀によって、罪に陥(おとしい)れられ、ついに十字架刑に処せられます。十字架上での苦しい息の下から、母マリアに向かって、「婦人よ(女よ)、御覧(ごらん)なさい。あなたの子です」と告げます。「あなたの子」と言ったのは、イエス自身のことではありませんでした。十字架の傍(かたわ)らに立っていたのは、母マリアと、母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアだけでした。男の弟子たちは逃げ去っていたのです。イエスが「子」と言ったのは、ギリシア語で『フイオス』、つまり「男の子」のことです。しかし十字架の周囲に男性はいません。では、イエスはだれを指して「あなたの子」と言ったのでしょうか。ある聖書注解者は、「『理想的な弟子』を類型的に描いている」と解しています(松村克己(かつみ))。この解釈に従えば、「あなたの子」をだれかに特定することはできません。したがって「イエスは多分、従来無理解であった家族の者を信仰に導くために、母を愛弟子(まなでし)(理想的な弟子)に託(たく)せられた」(山谷(やまや)省吾(しょうご))と考えるのが妥当(だとう)な線でしょう。イエスは、「婦人よ(女よ)」と言って、いったん「母」を否定したあとで、『理想的な弟子』に向かって、「見なさい。あなたの母です。」と言うのです。
 イエスがあえて神を「母」と呼ばなかった、いや呼べなかったわけがわかるような気がします。
 しかしそれだけではありません。「父」と「母」をよく考察することによって、新しい視界が開けてくるのです。

 次に示す別表をご覧ください(編集技術未熟のため行頭揃えができていません)。これはこの世界の現象とその成り立ちとを、「陰(いん)」と「陽(よう)」、つまり「母」と「父」の二つの原理から説明しようとしたものです。
 表の「内臓」の「五臓(ごぞう)」とは、肝(かん)・心(しん)・脾(ひ)・肺(はい)・腎(じん)を指(さ)し、「六腑(ろっぷ)」とは、大腸・小腸・胆(たん)・胃(い)・三(さん)焦(しょう)・膀胱(ぼうこう)を指します。三(さん)焦(しょう)は1.全身の気をつかさどる上(じょう)焦(しょう)、2.全身の水分を通す中(ちゅう)焦(しょう)、3.栄養物・老廃物の通路となる下(か)焦(しょう)から成(な)っています。
 「母」または「父」としてそれぞれの項目を見て行って下さい。すると、100パーセントの「母」もなければ、100パーセントの「父」もないことに気づくでしょう。「母」の中に「父」の要素が含まれ、「父」の中に「母」の要素が含まれているのです。だから、時に「母」は「父」の役割を果たし、あるいはその逆も起こるのです。それができない時は、「母性」「父性」が崩壊し、したがって家庭が崩壊するときなのです。家庭が崩壊し、子どもが正常に育たないのは、「母性」「父性」の愛と智慧が一つに働かず、愛に偏(へん)して子どもをスポイルし、智慧に偏して愛情に飢(う)えた子どもを作ってしまったためなのです。家庭崩壊は、政治や経済や教育のせいではありません。「母」が「母」たることを忘れ、「父」が「父」たることを忘れた結果にほかなりません。貧困や乱世の中でも、いや貧困や乱世の中でこそ、「母」が「母」たることに徹(てっ)し、「父」が「父」たることに徹(てっ)すれば、子どもは立派に育つことをよくよく心にとめるべきでしょう。

     ・・・・・・・・・陰(母)               陽(父)

基本的特性 ・・・遠心力                求心力
傾向     ・・・膨張                 収縮
感触     ・・・柔らかい                硬い
生物特性   ・・・植物的                動物的
性別     ・・・女性                男性
呼吸     ・・・吸気                呼気
態度、感性 ・・・穏やか、消極的、防御的       活発、積極的、攻撃的
仕事     ・・・心理的、精神的            肉体的、社会的
意識     ・・・普遍的                専門的
文化     ・・・精神的                物質的
次元     ・・・空間(時間)            時間(空間)
認識     ・・・主観                客観
世界     ・・・自然                歴史・社会
戦闘     ・・・防御                攻撃
夫婦     ・・・妻                夫
親      ・・・母                  父
兄弟     ・・・弟                兄
姉妹     ・・・妹                姉
母子     ・・・母                息子
母娘     ・・・娘                母
祖父と孫娘  ・・・孫娘                祖父
祖母と孫息子 ・・・祖母                孫息子
祖父と孫息子 ・・・孫息子                祖父
祖母と孫娘  ・・・孫娘                祖母
天体     ・・・太陰(月)                太陽(日)
天気     ・・・雨                晴
昼夜     ・・・夜                昼
天地     ・・・地                天
温度     ・・・冷                熱
数      ・・・偶数                奇数
状況     ・・・静                動
人間     ・・・精神                肉体
数学     ・・・マイナス(負)            プラス(正)
春秋     ・・・秋                春
夏冬     ・・・冬                夏
東西     ・・・西                東
南北     ・・・北                南
感情的    ・・・抑制                興奮
内臓     ・・・五臓(六臓)            五腑(六腑)
人体組織   ・・・筋肉                皮膚
山      ・・・北                南
川      ・・・南                北


58 旧約聖書申命記22章1節〜24章22節  水 野 吉 治 2009/03/19

(1)同胞を助けること(22章1〜4節)

「同胞」 ヘブライ語ではアーハ。兄弟。親族。身内。仲間。
「見ない振りをする」 ヘブライ語ではアーラム。見捨てる。無視する。おおう。隠(かく)す。
「外套(がいとう)」 ヘブライ語ではスイムラー。衣服。着物。衣。布。晴れ着。

(2)ふさわしくない服装(22章5節)

古代メソポタミアの女神(めがみ)イシュタルに対する偶像礼拝、あるいは宦官(かんがん)の衣服倒錯(とうさく)との関連が考えられる。

(3)母鳥と雛鳥(ひなどり)(22章6、7節)

 動物に対する愛、または、種の保存、将来の食料の確保のため。

(4)屋根の欄干(らんかん)(22章8節)

 中近東地方の家屋の屋根の上は平たく作られ、暑い季節に涼むための部屋が作られている。休息したり、ものを干したり、見張り台にしたり、避難場所にしたりできる。

(5)混(ま)ぜ合わせてはならないもの(22章9〜11節)

「汚(けが)れたもの」 聖所のものとして没収されるか、または焼き尽くされるべきもの。

(6)衣服の房(ふさ)(22章12節)

 広げると四角い一枚の布になる当時の着物の四隅(よすみ)に、青い一本の糸を含む「縒(よ)り糸」の束がつけられていた。これを見ることによって、神のすべての命令を思い起こし、みだらな行いをしないようにした(旧約聖書民数記15章38、39節)。のちに、着物のへりを青く染め、へり全体に房(ふさ)をつけるようになった。律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちの権威を誇示(こじ)するために、この房を長くした(新約聖書マタイによる福音書23章5節)。

(7)処女の証拠(22章13〜21節)

「処女の証拠」 初夜の新婦が用いた着物の血痕。
「町の門」 外敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれた町は、住民の出入りのために門が設けられていた。
「長老」 分別盛りの年齢か老年にある権力者。
「イスラエル」 @紀元前1021年ごろ中近東に成立したユダヤ人王国の名前。南北分裂後の北王国名。
        Aヤコブの別名。
        B現代の国名
「シェケル」 聖書巻末の「度量衡および通貨」54ページ参照。約11.4グラム。
「百シェケル」 銀の相場は不詳であるが、仮に10グラム350円とすれば1グラム35円。100シェケルは1140グラム。35円×1140g=39900円となる。シェケル銀貨が5.6グラム。これを用いると35円×5.6g=1097.6円となり、これではあまりに安すぎる。やはり39900円が妥当であろう。
「石打(いしうち)の刑」 死刑執行の手段。宿営の外で行われた。石打の刑を求刑する証人は死刑囚の頭に手を置き、次に、証人が石を投げ、他の人がこれに続く。

(8)姦淫(かんいん)について(22章22〜29節、23章1節)

「助けを求めず」 合意の上で。
「野で出会い」 偶然。
「五十シェケル」 上記の計算に基づくと39900円÷2=19950円になる。
「父の衣(ころも)の裾(すそ)をあらわにする」 父の妻を犯す。

(9)会衆に加わる資格(23章2〜9節)

「睾丸(こうがん)のつぶれた者、陰茎(いんけい)を切断されている者」 去勢(きょせい)された者。
「会衆」 ヘブライ語ではカーハール。集まり。公会。集会。群衆。イスラエルの宗教共同体。
「混血の人」 ヘブライ語ではマムゼール。私生児。不倫の子。隠し子。「十代目になっても」 永久に。
「アンモン人(じん)」 ロトの末娘と父ロトの間に生まれた子から出た氏族。姉娘の子はモアブ。ロトと二人の娘との父子相姦物語は、旧約聖書創世記19章30〜38節に記(しる)されている。アンモン人(じん)の国境(くにざかい)は堅(けん)固(ご)だったので、イスラエルはアンモン人(じん)の領土へは入れなかった。
「モアブ人(じん)」 死海の東に王国を築いた民族。イスラエルのカナン侵入当時、優れた農耕文化を持っていた。
「アラム・ナハライム」 聖書巻末地図1参照。ユーフラテス川とチグリス川にはさまれ、現在のイラクを含む地域。イスラエルの祖先アブラハムは、ウルを出発して、ハランを経てカナンに入った。
「ペトル」 メソポタミア北部の町。ユーフラテス川の支流サグール川(サジュール川)河畔(かはん)の町。
「ベオル」 
   @ イスラエル王制時代以前のエドムの町ディンハバの最初の王ベラの父。
   A占い師バラムの父。
   ここではAを指す。
「バラム」 ペトルの占い師。ベオルの子。
「エドム人(じん)」  1. イサクの長子で、ヤコブの兄。エサウの別名。
           2. エサウから出た氏族名。
           3. パレスチナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域。聖書巻末地図2参照。
「寄留している」 宿っている。住んでいる。

(10)陣営を清く保つこと(23章10〜15節)

「夢精(むせい)」 睡眠中に射精すること。
「杭(くい)」 鍬(くわ)。釘(くぎ)。
「排泄物(はいせつぶつ)を覆(おお)う」 衛生的な観点からではなく、それを用いて敵が魔術を行使する可能性があるという原始的観念のため。
「主が離れ去る」 聖なる神と一つになることを妨(さまた)げるのは汚(けが)れ。

(11)逃亡奴隷の保護(23章16、17節)

おそらく外国からイスラエルに逃(のが)れてきた奴隷を保護すること。

(12)神殿で禁じられていること(23章18、19節)

「神殿娼婦(しょうふ)」「神殿男娼(だんしょう)」 カナンおよびフェニキアの偶像礼拝で、神と交わり、神に仕える儀式として売春が行われた。
「誓願(せいがん)」 持っているものを神のためにささげて専心すること。
「犬の稼(かせ)ぎ」 神殿男娼の報酬。

(13)利子(23章20、21節)

 凶作や病気などによる同胞(どうほう)の窮状(きゅうじょう)を救うために、金が貸し付けられたが、普通、利子は貸付額から前もって差し引かれていた。その場合、貸し付けは利殖(りしょく)のためではなく、慈善行為として行われた。

(14)誓願(23章22〜24節)

キリスト教における誓願は、修道生活に自分をささげることを意味し、清貧・貞潔・従順の誓願によってキリストに倣(なら)おうという生活をこころざすことである。

(15)人の畑のもの(23章25、26節)

 畑の作物に対する、所有主(ぬし)と通行人の貪欲(どんよく)を制御(せいぎょ)するための規定である。空腹を抱えた人が通りかかったとき、作物を食べることを許さなければならない。また通行人も、この規定をよいことにして、無制限に食べてはならない。ともに神から与えられたものであることを感謝して、謙(へりくだ)っていただくべきである。地上の産物はすべて、当然人間に与えられたものであると思うことは、神の恵みを蔑(ないがし)ろにすることであり、その傲慢(ごうまん)は、環境の荒廃を以(もっ)って報(むく)われるであろう。

(16)再婚について(24章1〜4節)

 ユダヤ法は、夫の側からのみ離婚を許している。かつ離婚の理由は問われない。他にもっと素敵(すてき)な女性を見つけたという理由でもよい。また、妻の同意も不要である。一方、妻が不義をはたらいたときなど一定の状況下では、仮に夫は許したくとも、離婚しなければならない。
しかし、ユダヤ教が離婚を軽く考えているわけではない。結婚は聖なる契約であり、結婚の解消は神聖さを汚す行為と見なされる。だから、ユダヤ法の離婚手続は複雑かつ厳しいものになっており、離婚を抑制している。妻の不義による離婚のような場合を除き、離婚する場合には、妻に対してかなり多くの補償金を支払わなければならない。金額は予(あらかじ)めケトゥバー(結婚の契約書)に書かれている。また、離婚した妻が他の男と結婚した場合、夫はその妻と再婚することはできない。
トーラー(律法)によれば、夫がゲット(get)と呼ばれる離縁状を書き、ラビ(聖職者)の前で妻に渡すことによって離婚は成立する。夫が安易に離婚しないように、ラビが離縁状の書き方、渡し方などに関する複雑な規則を作っているため、離婚に当たってはラビに相談しなければならない。伝統的なゲットは、夫婦関係が破綻(はたん)したことを強調しないし、離婚の理由も述べない。むしろ、その女性が自由であっていつでも他の男性と結婚できるという、肯定的な書き方をしている。
妻の側からは離婚できないというのではあまりにも不合理な場合がある。夫の側に非があってどうしても結婚関係を維持することが妻にとって耐(た)え難(がた)いケースでは、ラビ法廷で離婚が正当と見なされた場合、夫に強制的にゲットを書くことを強制することができる。

(17)人道上の規定(24章5〜22節)

「重い皮膚病」 らい病。
「レビ人(びと)・レビ族」 ヤコブの子レビの子孫。祭司の補助をする職務が与えられている。申命記では、レビ人(びと)・レビ族はすべて祭司であり、祭司はすべてレビ人・レビ族である。祭司とレビ人・レビ族との関係は解明されていない。
「祭司」 いけにえをささげ、律法を教える職務。
「ミリアム」  1.アムラムとヨケベドの娘で、アロンとモーセの姉。
        2.ユダ族で、エズラの子孫の一人。
       ここでは1.を指す。
「神がミリアムになさったこと」
    ミリアムとアロンは、モーセが、外国人クシュ(エチオピア)の女性を妻にしていることでモーセを非難した。その結果、神はミリアムにらい病の罰を与えられた。
「担保(たんぽ)」 保障のため提供するもの。この場合は、四角い布の上着を指す。
「父は子のゆえに」「子は父のゆえに」 古代オリエントでは、しばしば家族も連帯責任を取らされて死刑にされたようである。しかし、イスラエルにおいては、個人の責任が重視された。
「寄留者(きりゅうしゃ)」 ヘブライ語はゲール。異邦人(いほうじん)。他国人。外国人。旅の者。

付録 地獄の中の教会

1.太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)

 1941年(昭和16年)、日本はアメリカ・イギリス軍に対し宣戦を布告し、太平洋戦争が始まりました。
当時の日米の戦力を比較してみると、石炭や鉄鋼生産高は、アメリカ10に対して日本は1、自動車は100対1でした。大本営(だいほんえい)は「開戦後二カ年は確かな計算が立つが、それ以後は何もわからない」と考えており、したがって「目をつぶって清水(きよみず)の舞台から飛び降りることも必要だ」と内閣総理大臣東条(とうじょう)英機(ひでき)は言ったそうです。こうして無謀(むぼう)極(きわ)まりない戦争に突入してしまったのです。
 普通、第2次世界大戦(太平洋戦争)は、1941年12月8日(現地時間では12月7日)、日本軍がハワイの真珠湾(パールハーバー)を奇襲攻撃した時に始まったと考えられています。しかし実際には、その約1時間前に日本軍は、当時イギリス領であったマレー半島東岸に上陸していました。そしてたちまちマレー半島全土を占領し、1942年2月15日にはシンガポールを陥落(かんらく)させました。それ以前に、イギリス領香港(ほんこん)は日本の占領下にはいっていました。
 この過程で、日本軍に捕らえられて捕虜となったイギリス人やオーストラリア人など英連邦諸国の人々は、イギリス人約5万人、オーストラリア人約2万2千人にのぼりました。

2. 泰緬(たいめん)鉄道建設

日本軍部によって、泰緬(たいめん)鉄道建設(泰(たい)はタイ、緬(めん)はビルマ(ミャンマー))が決定され、工事に突入したのは1943年(昭和18年)1月でした。
当時ビルマ(ミャンマー)では英米連合軍の反攻が激しく、既にインド洋の制海権を失っていた日本は、ビルマに入っている日本軍十万人の補給を陸路(りくろ)に頼る他(ほか)なく、やむを得ず、タイとビルマを結ぶ全長415kmの、600以上の橋梁(きょうりょう)をもつ鉄道工事の建設に着手したのです。ここは世界最多雨(たう)地域と言われ、雨季に入って一度豪雨が来ると30mにも及ぶ水位の変化を見せ、渓谷(けいこく)は奔流(ほんりゅう)となって道路、仮橋(かりはし)を押し流し、戦前の英国が測量を開始しながら、10年かかっても困難との結論から遂(つい)に放棄していた地形でした。
しかも日本側には、近代的な建設機材は、削岩機(さくがんき)といった程度のものさえ皆無(かいむ)の状態でした。したがって、レール2,3メートルの工事を、一人が手作業で担当するという形で、人海(じんかい)戦術を取らざるを得ませんでした。
レールや転轍機(てんてつき)・分岐器(ぶんきき)などは、ビルマやマレー半島の不急の部分を撤収(てっしゅう)して充(あ)てるしかありませんでした。
加えて、マラリア、コレラなどの伝染病が流行(はや)っている土地なのに、医療設備も薬品もなく、宿舎や食糧(しょくりょう)も不足していました。
そのような中で、工事はタイ側ノンプラドックとビルマ側タンビザヤの双方から同時に開始され、タイ側は鉄道第9聯隊(れんたい)、ビルマ側は鉄道第5聯隊が担当しました。更(さら)に国鉄作業員合計三千名、ビルマ独立義勇軍、現地労務者(ジャワ、マレー、タイからの苦力(くーりー))約十万が投入され、やがてシンガポールから移送されたイギリス、オランダ、オーストラリアの白人捕虜が加わりました。この総数は、後の連合軍東南アジア司令部の公表によれば七万三千五百二名といわれています。捕虜は収容所に国籍ごとに分住(ぶんじゅう)し、健康管理には捕虜の軍医が直接あたっていました。鉄道作業隊は、毎朝収容所から捕虜を受け取り、作業終了後また収容所に帰す制度となっていました。
 こうして一見不可能に近いとさえ見えた難工事も、日本の鉄道技術と多くの捕虜の人命の犠牲によって、1943年(昭和18年)10月17日、タイ領コンコイターで双方の鉄道が連結して一応全線開通の運びとなりました。工事着手から完成まで通常なら5,6年かかる難工事でしたが、僅(わず)か10ケ月という驚異的な短期間で完成しました。
投下労働カは、日本軍及び軍属1万五千名、捕虜七万三千五百二名(東南アジア連合軍司令部発表)、苦力(くーりー)十万名(推定)、合計二十万名の作業人員が、415キロの全工区に配置され、一人当たりの土工量2.5立方メートルで、大変な人海戦術です。日本人犠牲者は書類焼却等のため正確にはわかりませんが、推定千名、白人捕虜は連合軍の発表によればコレラによる者五百六十名、マラリヤ、熱帯潰瘍(かいよう)、栄養失調等による者一万五百六十名、その他を合わせて二万四千四百九十名となっています。レール一本当たり一人が亡くなったことになります。このような犠牲の上に敷かれた鉄道の上を、日本兵がビルマの戦場ヘと送られて行ったのです。

3. クワイ河収容所

 クワイ河畔(かはん)に設置されたチャンギ捕虜収容所(クワイ河収容所)では、日々、鉄道建設の過酷(かこく)な労役(ろうえき)に加えて、日本軍による虐待(ぎゃくたい)・拷問(ごうもん)が行われていました。
 収容所は、シンガポール島の東側に位置します。もとはイギリス軍の兵舎でした。収容能力は約千名でしたが、そこへ英米人捕虜が四万人詰(つ)め込まれていました。
 捕虜になった英米軍の将校は、収容所内でも部下に対する指揮権が与えられていました。他の収容所でもそうであったかどうかは不詳(ふしょう)ですが、少なくともクワイ河収容所では軍隊の秩序が維持されていて、そのために、厳重な監視下に置かれているはずの収容所の中で、奇跡とも言うべき出来事が数々(かずかず)起こったのです。
 将校の一人はアーネスト・ゴードンというスコットランド生まれの陸軍大尉です。捕虜として労役(ろうえき)に服しているあいだに、ゴードンは、次々と、マラリア、脚気(かっけ)、熱帯性潰瘍(かいよう)、赤痢(せきり)、血液感染、悪性ジフテリア、回虫(かいちゅう)、盲腸炎にかかります。その結果、労働ができなくなり、病棟に入れられます。病棟は、雨期(うき)になると床(ゆか)が水浸しになる不衛生な場所であり、南京虫と虱(しらみ)と蠅(はえ)だらけで、糞尿臭(ふんにょうしゅう)・悪臭・死臭(ししゅう)が立ち込めていました。入れられた者は日を待たずに死んでゆくのでした。

4. 奇跡

 ゴードンが死を覚悟して入った病棟でしたが、やがてその「死の家」に、ゴードンの中隊の二名の部下が訪ねてくるようになりました。彼らは毎晩仕事が終わってから、ゴードンの体を洗い、麻痺(まひ)した足をマッサージしてくれました。
ゴードンは彼らから、別の部下の話を聞きました。その部下は、弱っている相棒(あいぼう)に自分の食事を与え、自分の毛布を与え、相棒を回復させたというのです。しかし部下自身は、そのために飢(う)えと疲労で死んだのでした。これはキリストの十字架の死を収容所内で実行したものと言えるでしょう。
 続いて、次のような出来事が起こりました。
 ある日の労働が終わった後、現場(げんば)で日本軍の監視兵(かんしへい)が用具の点検をしました。すると彼はシャベルが一本足りないと言い出しました。その一本が出てこなければ全員を射殺するというのです。誰かが盗んだに違いないというわけです。彼は銃を取り安全装置をはずしました。誰も申し出る者がないのを見て、彼は銃を肩にあて、並んでいる捕虜の左端から射殺しようと構(かま)えました。その時、一人の捕虜が進み出て、「私がやりました」と穏やかな声で言いました。監視兵は、カッとなっていきなり銃(じゅう)を逆手(さかて)に持ち、その捕虜の頭に振り下ろしました。頭蓋骨の割れる音がして鮮血が飛び散りました。即死でした。それでも監視兵は殴(なぐ)り続けました。やっと監視兵が殴りつかれてやめたあと、捕虜たちは死体をかついで収容所に帰りました。収容所に入る前に、もう一度点検がありました。すると、シャベルが一本足りないはずなのに、全部そろっていたのです。
 また、ある捕虜は、重病人の友のために、収容所の柵(さく)の外に出て、タイ人から薬を買おうとしました。そして監視兵に発見されて、処刑されました。
これらはまさに「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(新約聖書ヨハネによる福音書15章13節)を実行した話です。
 次第に健康を回復してきたゴードン大尉のところに、ある日、キリスト教について知りたいので何か話をしてほしいという捕虜がやってきました。収容所の柵(さく)の中の外(はず)れたところに竹やぶがあって、話を聞きたい者がそこに集まるというのです。ゴードンは牧師ではありませんが、みんなの助けになるならということで、その「竹やぶ集会」に出て行きました。驚いたことに、そこには数十名の捕虜たちがゴードンを待っていました。そしてみんな真剣にゴードンの話を聞いたのです。会を重ねるごとに集まる者は増えて行きました。聖書をともに学んで行くうちに、イエス自身が生きる苦しさを知り尽くし、苦しむ人間のそばにいて、ともに苦しんでくれていることが、ゴードンに明らかとなってきました。

5. 霊の教会

 自分の語るキリスト教のメッセージは何であるか。救いとは何であるか。
異郷のジャングルの中で、飢餓(きが)と病気と虐待(ぎゃくたい)・拷問(ごうもん)、そして、過酷(かこく)な労役(ろうえき)に呻(うめ)き苦しんでいる人間に対して、福音はどういう意味を持っているのか。今死につつある人間に対して、何を語るべきか。人はなぜ苦しまねばならないのか。人生はどういう意味を持っているのか。ゴードンならずとも、それに答えることのできるキリスト者・牧師がどれだけ存在するでしょうか。聖書の言葉を、確信も喜びもないままに、決まり文句のようにただ唱えているだけではないでしょうか。すべての望みを奪われた人間に対して、おざなりの説教がいかに空々(そらぞら)しく響くことでしょう。死を前にした死刑囚に対しては、歯の浮くような調子のいい薄っぺらな話をしても、むなしさだけが伝わるのではないでしょうか。人間の苦しみに心から共感し、ともに苦しみ、ともに泣くことがなければ、それは本当の福音とは言えないでしょう。ゴードンは、捕虜たちと苦しみを共にしたからこそ、聖書を真剣に読み、福音を自分の身に体験して、それを語ることが出来たのです。
1943年(昭和20年)戦争は日本の敗戦によって終わりました。帰国したゴードンは、イギリス・エディンバラの神学校で2年間学び、さらにアメリカのコネティカット州ハートフォード神学校の大学院で2年間研究を続けました。こうして、捕虜の体験と福音体験に加えて、神学の研鑽(けんさん)を積んで牧師になったのです。
ゴードンの牧会(ぼっかい)は、収容所での「竹やぶ集会」の体験によって裏打(うらう)ちされています。その体験から、彼は教会を次の三種類に分けるのです。
 1.規則、儀式、書物、長い座席、説教壇、教会堂があって成り立つ教会。
 2.聖書や教義の解説を重視する教会。
 3.神の愛に対する人間の感謝と喜びの応答から成る教会。
 この3番目の教会が「霊の教会」であり、これこそが本当の教会であるとゴードンは考えます。霊の教会は、他人のために惜しまず力を貸す牧師・信徒の群れ。教会外の人を助け、喜ばせる教会。行き詰まって死を考える人のために、いつも門を開き、暖かく包み込む教会。そのような教会が、霊の教会であり、本当の教会なのです。霊の教会は、この世的には、貧しくみすぼらしい教会ですが、愛の火に燃え、闇路(やみじ)を明るく照らす灯台の役目を果たします。教会があることによって、人は生きる希望を持ち、自分もまた、愛の火となって世を温め、明るく照らそうとします。それが本当の伝道なのです。信徒を増やすことが伝道なのではありません。教会が肥(こ)え、太(ふと)ることだけを考えているなら、それは「霊の教会」ではなく、「肉の教会」です。ゴードンは現在の教会に対して厳しく問いかけ、教会が本来の使命に立ち返ることを訴えています。


引用・参考文献

「癒される時を求めて : 泰緬鉄道」 エリック・ローマクス著; 喜多迅鷹,喜多映介訳. -- 角川書店, 1996.
「現代史の断面・死の泰緬鉄道 」ねずまさし著. -- 校倉書房, 1999.
「昭和史の消せない真実 : ハルビン・南京・泰緬鉄道」 上羽修写真 ; 中原道子文. -- 岩波書店. -- (グラフィック・レポート).
「戦争の記憶と捕虜問題」木畑洋一, 小菅信子, フィリップ・トウル編. -- 東京大学出版会, 2003.
「泰緬鉄道 : 機密文書が明かすアジア太平洋戦争」吉川利治著. -- 同文舘出版, 1994.
「泰緬鉄道と日本の戦争責任 : 捕虜とロームシャと朝鮮人と」内海愛子, G・マコーマック, H・ネルソン編著. -- 明石書店, 1994.
「知日家イギリス人将校シリル・ワイルド : 泰緬鉄道建設・東京裁判に携わった捕虜の記録」ジェイムズ・ブラッドリー著 ; 小野木祥之訳. -- 明石書店, 2001.
「歴史和解と泰緬鉄道 : 英国人捕虜が描いた収容所の真実」ジャック・チョーカー他著 ; 根本尚美訳. -- 朝日新聞出版, 2008.(朝日選書 ; 849).
「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著;斎藤和明訳. – 筑摩書房、1995.(ちくま学芸文庫)
「イラスト クワイ河捕虜収容所」L・ローリングズ著;永瀬隆訳. −社会思想社、1984.(現代教養文庫;1109)
「ウイキペディア・日本語版」 インターネット百科事典。

57 旧約聖書申命記19章1節〜21章23節 2009/01/27

水 野 吉 治

(1)逃れの町(19章1〜13節)

「あなた」 イスラエル。
「主」 ヤハウエ。イスラエルの神。
「積年(せきねん)」 多くの年月。
「わたし」 神。
「嗣業(しぎょう)」 相続地。
「長老」 家族・氏族・部族の長。新約聖書では、預言・伝道の面で教会員を指導し、牧師の働きもした。

(2)地境の移動(19章14節)

「最初の人々」 先祖たち。

(3)裁判の証人(19章15〜21節)

「祭司」 いけにえをささげ、律法を教える職務。

特註 アーミッシュの赦(ゆる)し

 「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いる。」他人の命を奪ったものは自分の命で償い、他人の目を傷つけたものは自分の目で償い、他人の歯を傷つけたものは自分の歯で償い、他人の足を傷つけたものは自分の足で償わねばならない。これを同害報復と言います。しかし、常に報復は規模が大きくなり、報復の連鎖を生んで止(とど)まるところを知りません。それに対し、イエス・キリストは次のように言われました。「『目には目を、歯には歯を』と命じられているが、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、左の頬をも向けなさい」(新約聖書マタイによる福音書5章38〜42節)と。つまり、『愛より出てくるユーモアで、左の頬を突き出せ』というのです。しかし左の頬を出すことが、相手を挑発することになることがあります。そこに愛による赦(ゆる)しがなければなりません。しかし、これも、ともすればただの唱(とな)え文句になりがちで、自己の人生における実践にまで至らないことが多いのではないでしょうか。それを自分自(みずか)ら実行することによってのみ、真理として実証されるのです。これを実行したアーミッシュから学んでみたいと思います。

1.アーミッシュとは

 アーミッシュについては、「死を生きる ― 芙蓉の会・あしの会のあゆみ」143ページ以下に詳しく書いてありますので、それをご覧ください。
 アーミッシュについて学べば学ぶほど、彼らの信仰の底には、ある共通した点が感じられます。それは「真理は、常に少数者の群(む)れに存在する」という信念です。「多くの人が集まるところに真理はない。まして、有名であることが真理のしるしではない」ということです。「壮大な建造物の中に、神はおられない。群衆が群(む)れ集まるところに、神はおられない」と彼らは信じているかのようです。マスコミ、マスプロ、マスメディアからは、真理は見えないと言うのです。真理は、鳴り物入りで、大声で語られるのではなく、「静かなる細き声」、「静かにささやく声」(旧約聖書列王記上19章12節)で語られるのです。激しい風の中にも神はおられず、地震の中にも、火の中にも神はおられません。静かなる細き声として神はささやかれるのです。イエスは、群衆が集まってくれば、群衆を避けて山に逃(のが)れました。自分を王にしようとする群衆から逃(のが)れようとされました。そのイエスをいさめようとした弟子たちに対しては、「サタンよ、退け」と厳しく叱責されました。
 アーミッシュは、「目立つこと」を極端に警戒します。服装にしても、「質素」「単純」であることを大切にします。写真も拒否します。讃美歌も、美声を聞かせようというような歌い方は禁じられ、楽器の演奏も避けられます。教会の建物を持たず、各自の納屋(なや)小屋(ごや)などを回り持ちで使います。牧師はじめ聖職者は全員無給です。ガウン、聖歌隊、祭壇、献金、十字架、ステンドグラスなど一切ありません。つねに「静けさ」を保つよう心がけます。けたたましく笑ったり、大声でしゃべったりして、周囲の雰囲気を乱したりしません。

2.アーミッシュの教育

 アーミッシュの子どもたちは、8年間の義務教育を受けるだけで、その後高等教育を受けることはありません。公立の小・中学校へは行かず、アーミッシュの共同体で作った学校へ通います。そこでは、1年生から8年生までを全校1クラスで教えます。
 教師(有給)になれる条件は、アーミッシュの価値観をしっかり持っていることと、農耕生活が理解できるということです。
 アーミッシュの教育の中心は、JOYという言葉に要約されます。Jはイエス(Jesus)、Oは他の人々(others)、Yはあなた(you)を表します。喜び(joy)を与える順は、まずイエスを喜ばせ、次に人を喜ばせなさい。そしてあなたを喜ばせるのは最後にしなさいというのです。「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」(新約聖書ルカによる福音書9章23節、マタイによる福音書16章24節、マルコによる福音書8章34節)というイエスの言葉にもとづいています。
 それを実践した人たちの記録が、アーミッシュの「殉教者の鏡」という本に収められています。
 たとえば、1560年代、オランダのダーク・ウイレムズが、再洗礼派(アーミッシュの母胎)として官憲に追われて、氷の張った川を渡って逃げたときのことです。追手(おって)が川に落ちてしまいました。それを見たダークは、逃げるのをやめて川に戻り、追手を救いました。その結果捕縛(ほばく)され、火あぶりの刑に処せられたのです。
 また、アーミッシュのヤーコプ・ホフステトラー(1704〜1775)の家が、ある時インディアンの一隊に襲(おそ)われました。ヤーコプの息子たちが狩猟用の銃に手を伸ばそうとしましたが、ヤーコプは、銃を息子たちの手の届かないところへ放(ほう)り投げてしまいました。そのため、一家は数人を残して皆殺しにされてしまったのです。
 また、アーミッシュは現代文明のほとんどを拒否しています。彼らは自動車も電気もガスも使いません。交通手段は、バギーと呼ばれる一頭立ての馬車です。テレビ、ラジオ、電話、パソコンもありません。飛行機に乗りません。兵役を拒否します。

3.乱射事件

 2006年10月2日(月)午前10時35分、エンマという名の女性教師が、一校一クラスのアーミッシュの学校から約400メートル離れた農家に駆け込み、泣きながら「学校に銃を持った男がいる」と告げました。農夫はすぐさま戸外に設置されている電話ボックスから警察に緊急通報して、学校で子供たちが人質(ひとじち)に取られたことを知らせました。
 犯人のチャールズ・カール・ロバーツ四世(32歳)は、アーミッシュではなくイングリッシュ(アーミッシュ以外の一般人)でした。気短(きみじか)で、いつもイライラしていました。事件前日の午後6時から、牛乳運搬用トラックでアーミッシュとイングリッシュ(アーミッシュ以外の一般人)の農場を回り、ステンレスの缶(かん)に入れてある牛乳を回収する仕事をしました。それから、それを地域の処理施設へ搬入(はんにゅう)したあと、午前3時ごろ牛乳運搬用トラックを、自宅から2.4キロほど離れた駐車場に停(と)め、そこで自分の小型トラックに乗り換えて自宅に帰り、仮眠をとりました。
 午前7時半、アーミッシュの学校に6歳から13歳までの生徒26人が登校しました。定刻になって、女教師エンマの指導で、聖書朗読、主の祈りが、ドイツ語でなされました。その日は、エンマの母と姉妹たちが参観に来ていました。一人は妊娠8か月、もう一人は幼児を二人連れていました。子どもたちは讃美歌を三つ歌いました。そのうちの一つの歌詞は、次のようでした。
 「人よ、終末を忘れるな。
  汝(なんじ)の死を忘れるな。
  死はときに速やかに訪れる。
  今日生気あふれる者も、
  明日か、明日をも待たず、
  世を去るかも知れぬのだ。」
それから単級複式(異なる学年で編成されたクラス)の授業が始まりました。
 そのころロバーツは、自宅で、妻のエイミーと3人の子どもたちと朝食をとっていました。そのあと妻エイミーは、長老派教会へ1歳半の末っ子を連れて出かけました。そして教会で、子どもをアーミッシュの若い女性ボランティアに預けて、祈祷会に出ました。
 午前8時45分、ロバーツは、6歳と8歳の子どもを、迎えにきたスクールバスに乗せたあと、家で家族一人ひとりに宛(あ)てて遺書を書きました。それから、小型トラックに、拳銃、散弾銃、ライフル、スタンガン、弾丸600発、潤滑ゼリー、ハンマー、釘(くぎ)、レンチ、双眼鏡、耳栓(みみせん)、バッテリー、懐中電灯、ろうそく、テープ、角材、着替え一式を積みました。すべて、人質(ひとじち)を取って長時間立てこもる用意でした。
 午前10時15分頃、ロバーツは小型トラックを学校に乗り入れました。物音を聞きつけて、女教師エンマが玄関に出ました。ロバーツは、錆(さ)びた金属片を持ち、「これと同じような物がありませんでしたか。探すのを手伝ってもらえませんか」と聞きました。エンマは「いいですよ。探してみましょう」と答えました。その間に、ロバーツはいったん車に戻り、拳銃を持って教室に入りました。そして拳銃を振り回し、子どもたちに「全員、教室の前の黒板のそばの床(ゆか)にふせろ」と命令しました。銃を見たエンマは、他の大人たちがまだ教室にいることを確かめると、母親と二人で横のドアから逃げ出し、狂乱状態で農家に駆け込んだのでした。
 予想外の展開に驚いたロバーツは、一人の男子生徒に「先生を呼んで来い」と命じました。それから、女子生徒数人の足を縛り、別の女子生徒たちをお互いに縛りつけて、「言うことを聞けば、傷つけない」と言いました。次に、大人たちと男子生徒全員を教室から出しました。そして車に残してあった物を、急いで教室に運び込みました。教室のドアを釘付けにしたあと、ロバーツは一人の女の子が祈る声に気付きました。
 「おれのために祈ってくれるか?」と聞くと、別の一人が「私たちのためにもお祈りして」と言いました。彼は、「お祈りなんかしても無駄(むだ)だよ」と言い返しました。それから、「だれか一人を好きなようにさせてくれれば、他の子には手を出さない」とロバーツが言うと、年少の女の子の一人が、彼の言う意味が分からないまま、仲間を守ろうと申し出ました。年長の子たちは、あわててペンシルベニア訛(なま)りのドイツ語で「だめよ! だめよ!」と止(と)めました。
 また、ロバーツは、「こんなことをしてすまない。おれは神に腹を立てている。だから、クリスチャンの女の子に罰(ばつ)を与え、神に仕返しするんだ」と言いました。
 間もなく警官たちが駆けつけ、学校を包囲して、拡声器で投降を呼びかけました。
 ロバーツは妻に携帯電話をかけ、「もう家には帰らない。皆に書き置きを残してある。おれは神に腹を立てている。9年前に生まれた長女のエリーズが、生後わずか20分で死んでしまったからだ」と言いました。
 妻に宛(あ)てた書き置きには、「おれは君にふさわしくない。完璧(かんぺき)な妻である君にふさわしいのは、もっと…。おれの心は自分への憎しみ、神への憎しみ、途方もないむなしさでいっぱいだ。皆で楽しく過ごしていても、なぜエリーズだけがいないんだと、怒りがわいてくるんだ」と書かれてありました。
 警察が学校を包囲しているので、女の子にいたずらする計画が駄目になったと知って、ロバーツはさらに動揺しました。午前10時55分には自分で警察に電話しました。「少女10人を人質にとった。警官は全員ここから出ろ。今すぐだ。さもないと、2秒で皆殺しにする。2秒だぞ。わかったか!」
 それから、少女たちに向かって言いました。「娘の償(つぐな)いをさせてやる。」
 13歳の生徒二人のうち、マリアンが、ロバーツは皆を殺すつもりだとさとり、年下の子たちを何とか守ろうとして、言いました。
「私を最初に撃って!」
 午前11時5分、警察は、散弾銃の銃声3発、続いて拳銃の速射音を聞きました。玄関の窓から発射された散弾が、数人の警官をかすめました。警官隊は校舎に突進、こん棒と盾(たて)で窓を壊しました。壊れた窓から突入したちょうどその時、ロバーツが拳銃で自分を撃ち、倒れました。
 床(ゆか)の上には、まるで処刑場のように、撃たれた少女たちが一列に横たわっていました。5人は瀕死(ひんし)の状態でした。もう5人も重傷を負っていましたが、頭を両手でかばい、転(ころ)げ回ったため、命が助かりました。
 少女たちは救急ヘリで搬送(はんそう)されました。ある少女は警官に抱かれたまま息を引き取り、ある少女は搬送先の病院で、母親の腕の中で息を引き取りました。こうして、5人の少女が亡くなりました。重傷の5人も予断を許さぬ状態でした。
 親たちの悲嘆はいうまでもありませんが、イングリッシュ(アーミッシュ以外の一般人)の悲しみは想像を絶する勢いで世界中に広がり、何百人ものボランティアが駆けつけて、親たちのケアに当たり、押し寄せる報道陣・一般人の整理・誘導を引き受けました。世界各地から何千通ものカード、手紙、小切手、無数の品物が送られて来ましたが、なかでも注目しなければならないのは、自殺した犯人ロバーツの遺族宛に送られて来るかなりの郵便物や金品でした。アーミッシュもイングリッシュも、悲しみを表すだけで、恨みや憎しみを持ち続けることはありませんでした。
 事件から1週間後、遺族と男子生徒たちが校舎に行きました。アーミッシュの教会の監督が主の祈りを唱えました。その場にいたアーミッシュの一人は、「実に神聖な時間、神聖な場面でした。神の力が働いているのを感じました。大勢が泣き、耐えがたい悲しみがあふれました。と同時に安らぎが広がって行ったんです。手でさわれるほど近くに神がいる。はっきりそう感じました」と言っています。主の祈りの、特にどの部分がそれほどの感動を引き起こしたのでしょうか。おそらく、
「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、
 我らの罪をもゆるしたまえ。」
という個所ではないでしょうか。これはこの事件とその結末、そしてその意義を知る上で、大変重要な個所なのです。次にそれを見て行きましょう。

4.赦(ゆる)し

 アーミッシュが、犯人ロバーツの未亡人エイミーと遺児たちも事件の犠牲者なのだ、と気がつくのは早かったです。夫また父を失った上に、プライバシーも暴(あば)かれています。しかも、アーミッシュの犠牲者とは違って、ロバーツの家族は、最愛の夫であり父である人が、アーミッシュの、罪もない子どもと家族に凶行を働いたという恥に苦しまねばなりません。そのロバーツの家族のために、アーミッシュは、事件後わずか数時間のうちに、次々慰めに来ました。そして、「あなたがたには何も悪い感情は持っていません。」「私たちはあなたを赦(ゆる)します。」「何の恨みもありません。」という言葉をかけ、見舞いの品を置いて帰りました。ロバーツの埋葬に参列した人たちの半数はアーミッシュでした。
 葬儀業者は、殺されたアーミッシュの子の遺族が、未亡人エイミーにお悔やみを言い、抱擁(ほうよう)している姿を目撃しています。彼は次のように回想しています。
「殺されたアーミッシュのこの遺族が、未亡人エイミーにお悔やみを言い、赦しを与えたところを見たのですが、あの瞬間は決して忘れられません。奇跡を見ているんじゃないかと思いました。」
ロバーツの家族の一人はこう言っています。
「35人から40人ぐらいのアーミッシュが来て、私たちの手を握りしめ、涙を流しました。それから、エイミーと子どもたちを抱きしめ、恨みも憎しみもないと言って、赦してくれました。どうしたらあんなふうになれるんでしょう。」
 ある日、ロバーツ家とアーミッシュの遺族たちが、そろって面会しました。アーミッシュの指導者は、その時の様子を次のように語っています。
「私たちは輪になって座り、順番に自己紹介しあいました。エイミーは、ただもう泣きじゃくるばかりでした。他の者も話しては泣き、話しては泣きしていました。私は未亡人エイミーのそばにいたので、彼女の肩に手をかけ、立ち上がって慰めようとしたのですが、自分も泣いてしまいました。本当に心が震えるような経験でした。」
別のアーミッシュの出席者は、「あの日、どれだけの涙が流されたことか。あれは神様のお力ですよ」と言っています。
 収入のなくなったエイミーのための寄付金を、何十人ものアーミッシュが納(おさ)めました。
 エイミーの親戚(しんせき)の一人はこう言っています。
「もし被害者がアーミッシュでなく、私たちの誰かだったら、訴訟(そしょう)に次ぐ訴訟になったでしょう。ところがここでは逆に、皆の距離が縮まっているんです。」
すなわち、報復がこの世の常識であって、それが人と人とを分裂させてしまう力を持っているのに対して、この世の常識を超えた赦しが、人と人とを結びつけ、一つにする力を持っているということ、それをアーミッシュが気付かせてくれたのです。これこそアーミッシュが命をかけて私たちに伝えようとしたメッセージなのです。

(4)戦争について(20章1〜20節)

「イスラエル」
 @ ヤコブに神より与えられた名前。
 A ヤコブの12人の子らで形成された12部族の宗教連合体の名前。
 B イスラエル分裂後の北王国の名前。南王国はユダ。
 C バビロン捕囚から帰還した人々。
 ここではAを指す。.
「役人」 ヘブライ語は『シャータル』。かしら。つかさ。
「ヘト人(じん)」 パレスチナ南部に住んでいた先住民族。ハムの子孫カナンの子。
「アモリ人(じん)」 パレスチナ先住民の総称。
「カナン人(じん)」 パレスチナ先住民の総称。
「ペリジ人(じん)」 ヨルダン川の西、パレスチナ中部山岳地帯に住んでいた先住民。
「ヒビ人(じん)」 フーレ湖、レバノン山、ヘルモン山に囲まれる地の先住民。
「エブス人(じん)」 エルサレムの先住民。

(5)野で殺された人(21章1〜9節)

「得(え)させられる土地」 神から与えられた地。カナン。
「耕したことも種を蒔(ま)いたこともない」 汚(けが)されない聖なる土地。処女地。
「レビ」 ヤコブとレアの間に生まれた第3子。
「手を洗う」 罪にかかわりのないことを示す行為。ピラトもこの行為をした(新約聖書マタイによる福音書27章24節)。
「贖(あがな)う」 買い戻す。償(つぐな)う。

(6)捕虜の女性との結婚(21章10〜14節)

「髪を下(お)ろし、つめを切り」 髪をそり、または短くし、つめを切る。悲しみ、または清めの表現。
「自分の両親」 捕虜の女性の両親。父は殺され、母は捕虜になっていたと思われる。

(7)長子(ちょうし)権について(21章15〜17節)

「二人の妻」 旧約聖書では一夫一婦制を基本としているが、子孫を得るために、一夫多妻、義兄弟婚、離婚、側女(そばめ)も容認されていた。族長や王が複数の妻を持つことが権力のしるしとして認められていた。

(8)反抗する息子(21章18〜21節)

 親に背く子は死刑に処せられた。「自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。」(旧約聖書出エジプト記21章15節)「自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。」(旧約聖書出エジプト記21章17節)

(9)木にかけられた死体(21章22、23節)

「木にかける」 処刑された死体をとがった柱にかけるか、突き刺した。十字架のことではない。


引用・参考主要文献
「アーミッシュの赦し」ドナルド・B・クレビル他著(亜紀書房・2008年)

57 旧約聖書申命記16章1節〜18章22節 2008/11/30

(1) 過越祭(すぎこしさい)(16章1〜8節)

「アビブの月」 第一の月。ニサンの月。捕囚後のヘブライ人の宗教暦の1月。太陽暦では3月と4月。
「過越祭」 聖書巻末用語解説p.32参照。
「主がその名を置くために選ばれる場所」 礼拝し、献げ物をするために全部族の中から選ばれた場所。
「酵母を入れないパン」 聖書巻末用語解説p.31『除酵祭』参照。
「苦しみのパン」 エジプトにおける苦難を想い、神の救いを記念するためのパン。

(2) 七週祭(ななしゅうさい)(16章9〜12節)

「七週祭」 聖書巻末用語解説p.24『刈り入れの祭り』参照。
「レビ人(びと)」 ヤコブの子レビの子孫。祭司の補助をする職務が与えられている。レビ人には嗣業(しぎょう)の割り当てがないので、献げ物のお下がりが与えられる。
「寄留者」 ヘブライ語はゲール。異邦人。他国人。外国人。旅の者。
「掟(おきて)」 ヘブライ語はフッカー。さだめ。ならわし。風習。

(3) 仮庵祭(かりいおさい)(16章13〜17節)

「仮庵祭」 聖書巻末用語解説p.23参照。
「除酵祭(じょこうさい)」 聖書巻末用語解説p.31参照。

 イスラエルは毎年三つの祭り(過越祭(すぎこしさい)、七週祭(ななしゅうさい)、仮庵祭(かりいおさい))を守らなければならなかった。そのために年に三度、中央聖所のあるエルサレムに巡礼に出かけなければならなかった。それらの祭りは元来(がんらい)農耕に関係した祭りであったが、その起源と意味は、出エジプトという歴史的大事件を忘れないようにするためであった。

(4) 裁判人と役人(16章18〜22節)

「裁判人」 訴えを弁護する人。罪に定める人。公平に扱う人。
「役人」 文字を使って記録することにかかわる職。つかさ。かしら。
「正しいこと」 ヘブライ語はツェデク。義。正義。公義。まこと。救い。勝利。
「アシェラ」 カナンの多産の女神。
「木の柱」「石柱(せきちゅう)」 偶像。

特註 ただ正しいことのみを追求しなさい。

1.名利(めいり)―名誉と利益

 私たちは何かをするとき必ず「これは自分にとって得(とく)か損か」を無意識のうちに考えています。そして損を選ばず、得を選びます。品物を買うときなど本能的に安くていいものを選びます。職業を選ぶ時も、「楽(らく)して収入が沢山入る方」を選びます。世の中全体は、その原理で動いています。
 その結果はどうでしょうか。世の中は弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)の生存競争の場(ば)になっているのです。一つの例としてスポーツを見てみましょう。
 スポーツは、もともと「遊び」でした。そこへ「金(かね)」と「名誉」がからみついてしまった結果、「勝てばいい」となって、醜(みにく)い競(きそ)い合いだけの修羅場(しゅらば)になってしまいました。勝った方は、ただ躍(おど)り上がって喜ぶのみで、負けた方を思いやって、健闘をたたえる余裕など無くしています。そして、不正をしてでも勝ちたいという欲望に目がくらんでしまうのです。
 芸術も、最初は自分の楽しみのために、絵を描いたり、音楽を作ったりしていたのが、人が認めてくれることを求めるようになり、スポーツと同じく、「金(かね)」と「名誉」がからみついてしまいました。本来「描きたいから描いた」、「歌いたいから歌った」のが芸術でした。それを何々展に入賞することや、コンクールで選ばれることを求めるようになり、もはや「遊び」ではなくなりました。「遊び」とは、それ自体が目的であって、他の目的のためにするものではなかったはずです。
 人間は一体どうなってしまったのでしょうか。

2.人間の諸相

 ここで四人の先覚の説くところにならって人間の姿を考えてみたいと思います。

(1)アウグスティヌス
@ 身体において  (自然的人間)
A それ自身において(歴史的・社会的人間)
B 神のもとに   (形而上(けいじじょう)的人間)
 《「形而上的」は形を離れた見えないもの、究極的なものを表す》
(2)プラトン
@ 愛利―欲性(よくせい)―外的人間 (自然的人間)
A 愛名―気性(きせい)―外的人間 (歴史的・社会的人間)
B 愛知―理性―内的人間 (形而上的人間)
(3)ペスタロッチ
@ 動物的人間 (自然的人間)
A 社会的人間 (歴史的・社会的人間)
B 道徳的人間 (形而上的人間)
(4)ヘーゲル
@ 主観的精神 (自然的人間)
A 客観的精神 (歴史的・社会的人間)
B 絶対的精神 (形而上的人間)
  (三井浩(こう)「愛の場所―教育哲学序説」より)
 人間は上記の@ABの三つの次元において生きています。人間の成長段階から見ると、@は幼児期、Aは児童期、Bは青年期に当てはまります。そして人間のいのちは@ABの順序に深まってゆきます。@とAは、Bにおいて統合されて完成されます。@ABの三つのどれかにとらわれ、とどまってはなりません。特に@とAの「名誉」と「利益」には、心して遠ざからねばなりません。薄っぺらな人間になってしまうからです。
薄っぺらな人間が、自然に対して手を染めるところから、さまざまの荒廃が始まります。

3.「業(ぎょう)」への堕落―農業・工業その他

 人類は、はじめ自分と家族の命をつなぐために、畑を耕し、種をまき、水や肥料をやって作物を育てました。家族で食べて余った分は、近所の人に分けてあげました。とても喜んでくれたので、うれしく思い、次はもっと作物を増やして、あげる範囲も広くしました。近所の人もそれぞれ自分の作ったものを持ってきてくれました。そのうちに「欲」が出てきました。あげたものともらったものを比較して、同じ価値であれば満足し、価値が違えば「損」「得」を考えるようになりました。次いで「お金(かね)」というものを発明しました。価値が足りなければ「お金」で補い、価値が余れば「お金」で蓄(たくわ)えました。そして「お金」で儲(もう)けようと思うようになったのです。「業(ぎょう)」の始まりです。
 「業」とは何でしょうか。「商売」のことです。身近な人たちのために作っていた作物を「商品」として売るようになると、お金が入ってくるので、欲がだんだんふくらんでゆきます。大量に作って売れば、面白いほど儲(もう)かって、笑いが止まりません。大量に作るために、化学肥料、農薬、遺伝子組換えなどを使います。手入れや収穫の効率を上げるために、同じ種類の作物を一か所にまとめて栽培します。すると病害虫が蔓延(まんえん)するようになり、強力な農薬を使います。やがてさらに強力な病害虫に悩まされ、また強力な農薬を開発しなければならなくなる、といったイタチごっこにおちいるのです。
 同じ道をたどっている他の例は工業です。最初手作りで物を作って楽しんでいた人が、それを商品として売って、金儲けの味を覚えてからは、手作りでは追いつかなくなり、機械を使って大量に作るようになりました。機械を使っている間に、いつの間にか機械に使われるようになり、できるものは個性のない物ばかりになってしまいました。物の素材も、地下資源から掘り出してきて使い放題に使っている間に、資源は枯渇し、公害は増える一方で、地球は掘った穴だらけです。自然をいじりまわしているうちに、地球温暖化が始まり、砂漠化と洪水で、もはや手がつけられないほど、自然が暴走を始めています。
 これが「業」の行き着いた果てなのです。ここにいたって、私たちは、「損か得か」を求めるのではなく、「正しいことは何か」を追求することに帰らなければなりません。それも、「私さえ助かればいい」というのではなく、「我(われ)・他人(ひと)ともに助かるように」と誓って願い(誓願(せいがん))、もし滅びなければならないのなら、「もろともに滅びよう」という捨て身(不惜身命(ふしゃくしんみょう))の覚悟を固めなければならないのです。

(5) 偶像礼拝者の処刑(17章1〜7節)

「契約」 聖書巻末用語解説p.25参照。
「天の万象(ばんしょう)」 天体。
「町の門」 石打(いしうち)の刑場は通常町の門の外であった。それによって町が汚(けが)されないためである。
「石打」 石打の刑を求刑する証人は、違反者の頭に手を置き、証人が初めに石を投げ、他の人がこれに続く。

(6) 上告について(17章8〜13節)

「主が選ばれる場所」 中央聖所が設けられる場所。エルサレム。
「祭司」 神と人との仲介者として、神殿の祭事をつかさどる職。

(7) 王に関する規定(17章14〜20節)

「与えられる土地」 カナン。
「馬を増(ふ)やしてはならない」 イスラエルの戦力を馬の多さに頼ってはならない。
「民をエジプトへ送り返す」 エジプトの優秀な馬を得るために民を遣(つか)わすのか、それとも、馬の代金として民をエジプトに奴隷として売るのか、いずれか不明。
「この道」 エジプトを脱出した道。
「この律法」 旧約聖書申命記1章6節以下。
「掟(おきて)」 ヘブライ語はフッカー。さだめ。ならわし。風習。
「戒(いまし)め」 ヘブライ語はミツワー。規定。命(めい)。

(8) 祭司(18章1〜8節)

「レビ人(びと)・レビ族」 ヤコブの子レビの子孫。祭司の補助をする職務が与えられている。申命記では、レビ人(びと)・レビ族はすべて祭司であり、祭司はすべてレビ人・レビ族である。祭司とレビ人・レビ族との関係は解明されていない。
「ヘブライ人・イスラエル人・ユダヤ人」 もとは同じ意味であったが、現在では『ヘブライ語』・『イスラエル共和国』・『ユダヤ教』という用語法で使われる。
「嗣業(しぎょう)」 相続人が受け継ぐ財産。神から与えられる土地。
「燃やして主にささげる献げ物」 火に焼き、気化してささげる芳香(ほうこう)犠牲(ぎせい)。
「寄留している」 宿っている。住んでいる。
「御(み)前に立つ者」 中央聖所(エルサレム)で祭祀(さいし)をつかさどる者。

(9) 預言者(18章9〜14節)

「息子、娘に火の中を通らせる」 モレク礼拝において行われた祭儀。モレクはアンモン人(じん)の神。息子、娘を火に焼き、神にささげた。
「卜者(ぼくしゃ)」 占いをする者。
「呪術師(じゅじゅつし)」 祈祷師。まじないをする者。
「口寄せ」 生者や死者の霊魂を招いて語らせる者。
「霊媒(れいばい)」 神霊や死者の霊と意思を通じる者。
「全(まった)き者」 聖なる者。

(10) 預言者を立てる約束(18章15〜22節)

「わたし」 モーセ。
「預言者」 神の言葉を語る者。ただし「予言者」は、未来のことについて語る者。詳しくは申命記13章1〜5節のレジメ参照。
「ホレブ」 シナイ山(ざん)。モーセが神から律法を与えられた山。
「集会の日」 神に召集された日。申命記9章8節以下参照。
「火」 神の臨在を示す。

56 旧約聖書申命記13章1節〜15章23節  水 野 吉 治 2008/10/22

(1) 偽預言者に対して(13章1〜5節)

「あなたたち」「あなた」 イスラエルの民。
「わたし」 神。

特註 預言と終末

 1.預言と予言

 旧約聖書で、「預言」または「預言する」と訳されているヘブライ語は、「ネブーアー」(預言)と「ナーバー」(預言する)です。新約聖書では、「預言」のギリシア語は「プロフェーテイア」で、「預言する」は「プロフェーテウオー」です。語義については後述しますが、とりあえず意味としては「神の言葉を預かる」ということです。
旧約聖書にも新約聖書にも「予言」とか「予言する」に当たる言葉は出てきません。あえてそれに当たる言葉を求めるとすれば、旧約聖書の「先見者」(ホーゼー・ローエー)が近いでしょう。「ホーゼー」は、「幻(まぼろし)を見る」、「ローエー」は「見る」という意味の語から来ています。つまり、「先見者」とは「神からの示しを幻として見る人」という意味です。
「先見」の一種としては、新約聖書使徒言行録16章16節には「占いをする」というギリシア語「マンテウオマイ」が出てきます。これは旧約聖書の「ケセム」(占い)及びその他の類似語と同じく、もともとは現象の奥にある本質を見ること、それによってあるべき姿を示すという働きをしていましたが、次第に人間の欲や好奇心を満足させる方向に流れ、神への信仰を失わせることになってしまいました。聖書では、占いを事とする魔術師・呪術(じゅじゅつ)師などは「偽預言者」であるとされています。
 さらに「予言」に近い言葉として、「黙示(もくし)」(ギリシア語はアポカリュプシス)があります。旧約聖書ダニエル書や新約聖書ヨハネの黙示録などに描かれている世界の終末の様相は、神からの示しとして「予言的」に述べられていて「黙示」と呼ばれます。もともと日本語の「黙示」は、暗黙のうちに意思を示すことを意味します。神の意思が、明らかに読み取れる仕方で示されるのではなく、謎(なぞ)めいた表現で述べられるメッセージの「意味」を悟ることが求められるのです。「読者は悟れ」(新約聖書マルコによる福音書13章14節)という言葉は、それを表しています。
 ちなみに「預言」は漢訳(中国語訳)聖書の訳語を採用したものです。漢訳(中国語訳)の「預言」は、「預(あらかじ)め語る」、すなわち「予言」です。「預言」の「預」を「預かる」と取るのは、日本語特有の読み方です。日本のキリスト教は、「預言」を「言(ことば)を預かる」と解(かい)しました。神の言葉を受けてそれを人に伝えるという意味です。「預言」の神学的解釈としては正しいのですが、中国語からすると明らかに間違っています。
 以上をまとめてみますと、
1.「預言」は、神の言葉を語ること。
2.「予言」は、未来のことについて語ること
3.「黙示(もくし)」は、終末について語ること。
4.「先見」は、幻(まぼろし)を見ること。
5.「占い」は、物事の本質を見ること。
となります。
 このうち3の「終末について語ること」は、普通「終末論」という形で取り上げられます。2の「予言」、3の「黙示(もくし)」、4の「先見」、5の「占い」も、究極的には、すべて「終末について語ること」を含み、個人の終末(死)と宇宙の終末が関心の中心に置かれます。これは、厳密には「終末観的」終末と言うべきです。それに対して1の「預言」は「終末論的」終末です。

2.終末観的終末と終末論的終末

 私たちは、ともすると、超能力に期待したり、また何年何月何日に世の終末が来るといったような言説におびえたりします。カルト集団がそれにつけ込み、テレビなどのマスメディアがそれにはずみを付けて、世を混迷におとしいれます。
 人間は、絶えず、日常的な生活を超えるもの・それを脅(おびや)かすものに、わけもなく惹(ひ)かれる傾向があります。それは今の自分の生活に何か満たされないものを感じるからです。人生の究極的な意味を求めるその姿勢は、永遠に対する思慕(しぼ)とも言える正しい姿勢です。それが転じて、日常に満足せず、異常なものを求める間違った傾向に走るのは、手軽に、安易に、究極らしきもの、永遠らしきものを味わおうとするからです。持続的で地味な努力を要する、究極的なもの、永遠のものへの探求をあきらめて、華やかで、楽な道を選ぼうとするのです。
 そもそも終末とは何でしょうか。
1.旧約聖書ダニエル書
2.新約聖書ヨハネの黙示録
3.福音書の「イエスの小黙示録」と呼ばれる部分
(新約聖書マルコによる福音書13章)
4.パウロの手紙の中に述べられている再臨や復活の思想
    (新約聖書コリントの信徒への手紙一15章他)
1〜4は、終末時の世界の様子や人間の運命を、絵画的・劇的に描いています。その表現は神秘的・非合理的・象徴的であり、さまざまな解釈が成り立つ余地を多く含んでいます。それはユダヤ教の歴史観・世界観を一歩も出ることなく、メシア(神によって選ばれた者)は、政治的な権力を持つ「ダビデの子」の姿で期待されるか、または、超自然的な力をもって天から降りてくる「人の子」の姿で描かれています。
「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」というイエスの問いに対して、ファリサイ派の人々は「ダビデの子です」と言いました。(新約聖書マタイによる福音書22章42節)
「人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。」(新約聖書マタイによる福音書24章30節)
 いずれにせよ、メシアも終末も、現世の歴史や世界の延長線の果てに起きる、華々しい栄光の出来事として考えられています。これを仮に「終末観」的終末と言うことが出来るでしょう。
 それに対して新約聖書は、十字架にかけられたイエスを、「主の僕(しもべ)」(旧約聖書イザヤ書42章,53章)としてのメシアと受け取り、そのメシアにおいて、神の国が既に来ていることを訴えます。十字架の死こそ、徹底的な死・終末であり、十字架において個人の終末と世界の終末が開示されるのです。終末とは究極であり、一切の究極的な意味を開示します。私たちは十字架において、自己の人生の意味と、世界の究極の姿とを知らされます。これを「終末論」的終末と呼ぶことが出来るでしょう。「終末観」的終末は、「終末論」的終末の、いわば暗号です。十字架は、その暗号を読み解く鍵です。終末論的終末は私たちの内にも外にもあります。私たちが日々出会うすべての出来事は、新しい暗号であり、神の国のしるし・終末のしるしなのです。

3.死―命を輝かせるもの

 「自分の命(プシケー)を愛する者は、それを失い、この世で自分の命(プシケー)を憎む人は、それを保って永遠の命(ゾーエー)に至るであろう。」(新約聖書ヨハネによる福音書12章25節)
 私たちがふだん「命」と言っているものは、プシケーのことです。それは、この肉体の死とともに消えてしまうものです。せいぜい7,80年の命です。死ぬまでの命です。死を含まない命です。だから、なるだけ死を先延ばしにして、長生きしようと思っています。出来ればいつまでも死にたくないのです。
 ではゾーエーの命とはどういうものでしょうか。それは死を含む命です。
 例えばここに美しい花があるとします。この花はなぜ美しいのでしょうか。それは、この花がいつまでも咲いているのではなく、いつかは枯れて死んで行くから、美しいのです。死を含んでいるから、美しいのです。
 いつまでも枯れず死なない造花の花は、冷たく、かたいです。いくら本物に似せて作ってあっても、成長も死もありません。従ってみずみずしい美しさがありません。
 命は、生まれ、生き、時に病み、そして老い、やがて死んで行くからこそ、みずみずしく美しいのです。
 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(新約聖書ヨハネによる福音書12章24節)
 命は、死ぬことによって、豊かな、いきいきした命になります。死ぬことを拒絶したり、死を避けていたのでは、時がたてば、ミイラのような、醜い、しわしわの残骸になるだけです。または、脳死状態になって、体に沢山のチューブをスパゲティのようにつっこまれて、機械で生かされているのは、全く悲惨です。
 がん細胞は死ぬことを忘れた細胞である、ということを本で読んだことがあります。また赤ん坊がお母さんのお腹の中にいるとき、手の指が分離するように、指と指の間の細胞が死ぬらしいです。もし死ななければ、指のない、丸太ん棒のような手になってしまいます。またインフルエンザにかかると、のどの奥が痛くなったり、痰や咳が出ますが、これはのどの細胞が死ぬからで、もし死なずにいると、インフルエンザのウイルスの子孫を生み続けることになってしまいます。だから細胞が死んでくれないと、個人の体だけでなく、人類全体にとっても、大変なことになってしまうのです。
 死は命を健康に保つ上にも絶対必要なのです。死を避けず、死を自分に引き受けることによって、本当の命の光が輝きます。
 命は、生まれた瞬間から、いつも死を裏側に持っています。その死によって、「今」がかけがえのない「今」、やり直しの利かない「今」となります。いつまでも生きている命があるとすれば、何をしても緊張感がなく、「今」を誠実に生きることが出来ません。なげやりで、だらだらと時間を過ごして行くだけになります。
 スポーツでも勉強でも仕事でも、一回きりの正念場があればこそ、本気で取り組めるのであり、本気で取り組んでいる姿が美しいのです。
 専業主婦でも一日のんびり過ごしていることは出来ません。掃除、洗濯、料理と、必ず区切りをつけねばならないときが来ます。化粧もしなければなりません。身だしなみもしなければなりません。先延ばし出来ないこともあります。「トイレに行きたくなったけど、面倒くさいから明日にしよう。」そんなわけに行きません。どうしてもその場その場で決着を付けて行かねばならないことがあります。
 いきいきした生活はそのようにして、必ず、「区切り」「終わり」というものを含んでいます。つまり「死」を含んでいるのです。
 しかし人間にとって「死」は嫌なもの、避けたいものです。そこで、人間は「死」を自分に引き受けようとしないで、なるべく他人に押しつけようとします。それをあからさまに出来ないものですから、他人にはもちろん、自分自身にさえ気付かないように、うまく隠してわからないようにしています。つまり「本能」という形で自分の中に隠しているのです。
 それはどういうことかというと、例えば、新聞で、電車が脱線して沢山の人が亡くなったという記事を読んだりすると、「ああ、気の毒に」と思う心の片隅に「その電車に乗り合わせなくてよかった。助かった」という思いがきざしています。つまり、人が不幸な目にあうと、「自分でなくてよかった」という思いが必ず起こってくるはずです。「代わってあげれ ばよかった」とは思いません。
 これは自分のことばかりではありません。その不幸が、自分の身内や子どもにふりかからなくてよかったと思います。表で子どもの泣き声がします。その時すぐ頭に浮かぶことは「あれはうちの子だろうか」ということです。自分の子でなかったらほっとします。どこかで地震があったということが、テレビででも報じられたら、自分のいるところから遠く離れていれば安心します。
 つまり、自分と、自分の身内には不幸があってはならないのであり、よその話であれば、「お気の毒に」ですませてしまうのです。
 ということは、その自分というのは、他人を排除し、他人を切り捨てたところに成り立っているのです。
 しかし、本当に他人を切り捨てた自分とか、他人を排除した世界というものが成り立つのか、と言えば、成り立たないことははっきりしています。早い話が、水素爆弾で全人類が破滅したあとに、自分と自分の家族だけが生き残ったと考えてみれば、それは自分と自分の家族にとって幸せな世界でしょうか。いや、地獄でしかないでしょう。わずか数人しか生きていない地球とは、まさに死の世界に他なりません。
 自分の世界の中に他人がいて、どうしても自分とそりが合わず、もめ事があったり、喧嘩したり、いらいらしたり、怒ったり、また、時には、助けてもらったり、励まされたり、そうすることの中で、自分が成長し、自分の内容が豊かになって行きます。たえず新しい発見があり、自分の世界が拡がって行きます。
 他人を自分の中に受け入れるから、自分が豊かになり、自分の世界が拡がるのです。他人を排除せず、自分の中に他人を生かす、それが人間が大人になるということです。他人と争い、他人を押しのけて生きようとすると、自分が狭く、小さくなり、貧しくなり、未熟になり、子どもになります。
 大人は他人を他人とは見ず、他人の苦しみは自分の苦しみ、他人の不幸は自分の不幸として受けとめます。お母さんは、自分の子供が病気で苦しんでいるの見ると、代わってやりたいと思います。お母さんは、自分が不幸でも、子供が幸せになれば、本当にうれしいのです。
 他人を切り捨てた自分ではなく、他人を含む自分。それは同時に死を切り捨てた命ではなく、死を含む命です。死を含む命は限りなく広く大きいです。
 それは十字架を通り抜けた復活の命、死んでも死なない本当の命です。

4.終末を超えて―コルベ神父

 私たちは、いつでも、どこでも、この復活の命に包まれています。それに気付かないだけです。それに気付いて積極的にその命を生きようとするのが、生きる意味を追求する者の生活です。その生活が復活の命の証しとなります。
 ここにその実例があります。その人の名は、マキシミリアノ・コルベです。コルベ神父として知られています。

 彼は1894年(明治27年)ポーランドに生まれました。
 両親は、熱心なカトリック信者で、世俗にありながら修道院と同じ生活をして、アシジのフランシスコの精神に生きるフランシスコ第三会(在家信徒)の会員となっていました。
 コルベ神父は13歳でコンベンツァル(保守派)・フランシスコ会の神学校に入学します。そして36歳の時、ゼノ修道士他3名と共に長崎に来ます。ゼノ修道士は後に東京の蟻の町でホームレスの人たちのために働きます。
 42歳の時、ポーランドに帰り、45歳でナチスに捕らえられます。ナチスは当時ユダヤ人だけでなく、キリスト教に対しても、厳しく弾圧していました。
 ナチスはコルベ神父の修道院へ来て、修道者全員を連行するために集めました。隊長の将校が、コルベ神父と怪我をしていた一人の神父とを、連行するグループから外して、修道院に残るよう命じました。隊長はコルベ神父を「老人」と呼んだといわれます。「老人」とけが人は、足手まといになるため連行しなかったのです。コルベ神父は、自分が修道院に残らない代わりに、二人の修道士を病人の看護のために残してくれるよう願いました。隊長はこれを許しました。 二人の修道士は、コルベ神父に残ってくれるよう求めました。然し彼はそれを断り、「私もあなたたちと一緒に収容所へ行きます」と言いました。こうしてコルベ神父ともう一人の若い神父、そして35人の修道士と一人の神学生が連行されていきました。
 過酷な収容所生活の後、3か月後にコルベ神父と修道者たちは一旦釈放されます。然し1年後再び逮捕されました。その時、20人の修道士たちがコルベ神父の身代わりになることを願い出ましたが、拒否されました。
 1か月後、コルベ神父は、ポーランド南部のオシヴェンチム(ドイツ語ではアウシュヴィッツ)という町にある収容所に送られます。そこでの労働と取り扱いの過酷(かこく)さは、これまでの収容所とは比較にならないものでした。粗末な食事は、過重な労働で衰弱した体を支えるには、余りにも少なすぎました。囚人達は、けもののようになって、食べ物を奪い合いました。
 その中で、コルベ神父は、自分の食べ物を他の囚人と分かち合っています。ある囚人の回想によれば、その囚人は、その日重い労働に行くことになっていました。その朝、コルベ神父は、その日の自分の分のパンを、その囚人の手に握らせようとしました。神父はとても衰弱していたので、囚人はびっくりして断わりました。すると、神父は、囚人を抱擁して、次のように言いました。「持って行きなさい。あなたは重い労働をするのです。あなたはお腹が空いています。」そして無理矢理パンを持たせました。神父はその日の夕方まで、食べ物は何もありませんでした。
 ある時、収容所の中で、神父はこう言ったといわれます。「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造するのです。苦しみは、私達を消滅させはしません。私達がもっと強くなるように助けるのです。」
 やがて運命の日が来ます。
 コルベ神父が入れられていた14号棟から、一人の囚人が脱走しました。大がかりな捜索(そうさく)が始まりました。アウシュヴィッツでは、逃亡者が出て、見付からなかった場合には、10人が、見せしめのために、餓死刑に処せられることになっていました。
 夏でした。逃亡者を捜索している間じゅう、囚人全員が食事も与えられず、外に立たされました。午後9時になり、解散の命令が出ました。
 翌日も捜索が続けられ、囚人たちは炎天下に立たされました。渇きと衰弱のため、倒れる者も出ました。
 午後遅くになって、「逃亡者が見付からないから、10人を餓死刑にする」と言い渡されました。
 囚人は4列に並んでいました。収容所の副所長フリッツ大佐が、無差別に10人を選んでいきました。選抜に漏れた者は安堵(あんど)の胸をなで下ろしました。選抜された者は、自分の悲運を悲しみ、生まれたことをのろいました。
 10人のうちの一人フランシスコ・ガヨヴニチェクが「私の妻よ、子供たちよ」と声をあげて泣き崩れました。レジスタンスに身を投じていて、捕らえられたときから死を覚悟しているはずの彼でしたが、二人の息子がいたのでした。
 この時驚くべきことが起こりました。コルベ神父が列を離れ、前に進み出たのです。ナチス親衛(しんえい)隊員は自動小銃を構え、犬は、命令があれば飛びかかる姿勢をとりました。フリッツ大佐と下士官のパリッチはピストルに手を当てました。然し不思議なことに、だれも発砲しませんでした。奇跡でした。
 神父は、収容所の規則に従って、帽子を脱ぎ、直立不動の姿勢を取り、静かに、「副所長殿にお願いしたいことがございます」と言いました。
 大佐は「何事か」と尋ねました。
 「あの人の身代わりになりたいのでございます」と神父は答えました。
 大佐は「お前は何者か」と重ねて尋ねると、神父は、「カトリックの司祭です」と答えました。
 これまで、フリッツ大佐は、囚人の願いなど聞き届けたことはありませんでした。言葉をかわしたことさえありませんでした。然し、神父の申し出は受け入れました。
 その時、大佐が、神父といっしょにガヨヴニチェクも餓死監房に送らなかったのは、不思議でした。2度目の奇跡が起こったのです。
 10人の犠牲者は、はだしになり、死の監房と呼ばれていた13号棟の地下の18号室に連れて行かれました。
 この時の様子を、ガヨヴニチェクは次のように回想しています。
 「私は、ただ目で感謝を送るだけでした。ぼうぜんとなって、何が起こっているのか、わずかに理解することが出来るだけでした。そして自分に次のように問いかけていました。 『ありえないことだ。死の宣告を受けた私は生きており、だれかが私のためにみずから進んで命を捧げる。見知らぬ人が私の代わりに死んでくれるのだ。これは夢ではないだろうか。』」
 18号室以外の他の部屋も、死を言い渡された人々でいっぱいでした。地下室は3メートル4方で、コンクリートの床に便器がおかれているだけでした。この時から、一滴の水も与えられませんでした。ここに入れられた多くのものが発狂しました。死んだ仲間の肉を食べることさえあったといわれます。
 然し、18号室からは、コルベ神父に導かれて、祈りの声と讃美歌が聞こえていました。神父は、仲間を勇気づけ、慰め、罪のゆるしの祈りをしました。
 一人また一人と死んでいきました。2週間後には、18号室には神父と他の3人が残るのみとなりました。収容所当局は、4人の死を早めるために、彼らの腕に石灰水の注射を打ちました。監房(かんぼう)書記ブルーノ・ボルゴヴィエツの証言によると、神父はみずから腕を差し出したそうです。
 こうして、コルベ神父は1941年(昭和16年)8月14日、息絶えました。47歳でした。
 1982年、カトリック教会はマキシミリアノ・コルベを聖者の列に加えました。
 コルベ神父の死は、多くの実を結びました。その愛は、人類に、衝撃と感動を与えました。
 「他のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(新約聖書ヨハネによる福音書15章13節)とイエスは言い、そしてみずから人類の為に命を捨てました。そして、死を含む命、復活の命となりました。「大きな愛」は「大きな命」となったのです。
 コルベ神父の命も、その復活の命と一つになりました。
 人間一人の命は、死んで、無限に広く大きい復活のいのちと一つになります。たとえコルベ神父のような立派な死に方でなくて、平凡な死であっても、あるいは、ぶざまな、みっともない死であっても、復活の命にだき取られ、それと一つになるのです。
 それをはっきりと自覚して、70年や80年のはかない命にしがみついて生きるのではなく、死んでも死なない永遠の命、終末を超える命、復活の命を、毎日の生活の中で実践しなければなりません。

(2) 偶像に誘う者に対して(13章6〜11節)

日々さまざまな多くの情報に囲まれている私たちは、その中から本物の真理を選ばねばならない。真理から私たちを遠ざけようとする情報や、それをもたらした者に対しては、それを見分ける賢明な眼を持たなければならない。

(3) 誤った情報を根絶やしにすること(13章12〜19節)

「イスラエル」
 @ ヤコブに神より与えられた名前。
 A ヤコブの12人の子らで形成された12部族の宗教連合体の名前。
 B イスラエル分裂後の北王国の名前。南王国はユダ。
 C バビロン捕囚から帰還した人々。
 ここではAを指す。.
「いとうべきこと」 ヘブライ語「トーエーバー」。偶像および偶像崇拝。

(4) 聖なる民の自覚(14章1〜2節)

 本来聖ならざるものも、神との関係に入れられるとき、聖なるものとされる。そのように神に選ばれ、聖とされた者は、その自己をけがすようなことをしてはならない。

(5) 清い動物と汚れた動物(14章3〜21節)

「いとうべきもの」 ヘブライ語「トーエーバー」。異教徒の食べるもの。
「ガゼル」 不明。
「反すう」 一度飲み下した食物をもう一度口に戻して噛むこと。
「虎ふずく」 不明。ミミズクの一種か。
「小きんめふくろう」 不明。
「みさご」 トビくらいの大きさで背中は暗い茶色、腹は白色、翼は長く、上手に魚を捕らえる。
「やつがしら鳥(ちょう)」 体長約28センチ、翼長約15センチの冠毛(かんもう)のある美しい鳥。
「死んだ動物」 自然死・事故死の動物は、おきてに決められた方法で血抜きをしたものではないから、食べてはいけない。
「子山羊をその母の乳で煮てはならない」 カナンおよびメソポタミアの異教では、肉を乳で煮て犠牲をこしらえることが一般的であった。そういう異教の風習に従ってはならない。

(6) 十分の一に関する規定(14章22〜29節)

「主がその名を置くために選ばれる場所」 礼拝し、献げ物をするために全部族の中から選ばれた場所。
「初子(ういご)」 初めて生まれた子。
「レビ人(びと)」 ヤコブの子レビの子孫。祭司の補助をする職務が与えられている。レビ人には嗣業(しぎょう)の割り当てがないので、献げ物のお下がりが与えられる。
「寄留者」 ヘブライ語はゲール。異邦人。他国人。外国人。旅の者。

(7) 負債免除の年(15章1〜18節)

「嗣業(しぎょう)」 相続人が受け継ぐ財産。神から与えられる土地。
「ヘブライ人・イスラエル人・ユダヤ人」 もとは同じ意味であったが、現在では『ヘブライ語』・『イスラエル共和国』・『ユダヤ教』という用語法で使われる。
「耳たぶを刺し通す」 耳は服従のしるし。服従しない奴隷は耳を切り落とされる、とハムラビ法典に記されているという。耳を戸に刺し通すのは、永久にその家の奴隷たることをあらわす儀式的行為。
「雇い人の賃金の二倍」 通常の雇い人の契約が三年(もしくは一年)とすれば、奴隷が六年働くことは雇い人の二倍ということになる。

(8) 初子の規定(15章19〜23節)

出エジプトに際して、神が特にイスラエルの民を選び分けて、災いを逃れしめ、神のものとされたことを覚え、それを忘れぬよう、清く傷無き初子を神のものとしてささげるのである。

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