人生・教育・宗教の広場
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[2] 一つということ 投稿者: 投稿日:2007/01/10(Wed) 01:08  
「自分と他人が二つに分かれた状態」は、自分のエゴが、つくり出した、「自分」対「他人」という、図式です。
本当は「自分」も「他人」も、実在ではなくて、仮説なのです。

「死」とか、「病気」とか、「事故」とかいう、極限状況に立たされたとき、「助けてくれ!」という叫びが、心の底から起こってきます。
「自分」と「他人」が、別々の存在だとしたら、他人に向かって「助けてくれ」と言っても、相手に通じるはずがありません。
「自分の苦しみを分かってくれ」と言っても、分かってもらえるはずがありません。
それでも、「助けてくれ」という叫びが出てくるのは、「自分」と「他人」が、深いところで、通じているからではないでしょうか。
「助けてくれ」と、誰に向かって言っているのでしょう。
「他人という自分」に向かって言っているのです。

まだ目の見えない赤ん坊が、お乳をほしがって、泣くとき、「お母さん」という「対象」に向かって泣くのではなく、「ただ」泣いているのです。
それに対して、お母さんの乳房は、「張ってくる」という反応を起こします。
それも、「ただ」張ってくるのです。
それは、お母さんと赤ん坊が、一つだからです。
赤ん坊は、「お母さんという自分」に向かって、泣いているのであり、お母さんは、「赤ん坊という自分」の泣き声を聞いているのです。

本当は、この世界に、「他人」は、一人もいません。
すべて「自分」ばかりなのです。

しかし、肉体を持って、「個」として生き始めたとき、
「エゴ」が生まれ、「自他」の距離が出来てしまいました。

赤ちゃんも、もの心がつくと、「自分」を意識し、お母さんとの確執に苦しむようになります。
これが、不幸の始まりです。

人間関係の葛藤や不和は、私の中に「エゴ」があるということを、気づかせてくれるメッセージです。
「エゴ」は、実体のない「仮説」ですから、気づいた瞬間に、「影」のように消えてゆきます。
でも、消えたと思った次の瞬間に、またすぐ姿を現します。
「気づき」、「消え」、「気づき」、「消え」を、繰り返して、人間は、「愛」に、成長してゆくのではないでしょうか。

その「愛」から、純粋な「智慧」が生まれ、無私の「工夫(くふう)」が生まれ、本当の「交わり」が生まれてくるのだと思います。
「エゴ」をにぎらず、手放して、「愛」に覚めることを、めざして、日々、精進してゆきましょう。


[1] ご挨拶 投稿者: 投稿日:2007/01/10(Wed) 01:05  
あけましておめでとうございます
   生まれたばかりの赤子(あかご)のように
    みずみずしい新芽(しんめ)のように
     朝日を映す玉露(たまつゆ)のように
   「今ここ」の無の一点に立ち返り立ち返り
     新しいいのちに生きるよろこびを
      みんなとわかちあいたい
二〇〇七年新春


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