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震災・死・教育
はまなす 第162号 2010,2 死ぬこと・生きること(その28) 水野吉治 2010/05/17

私「《もやもや病》って聞いたことがあるか」
A牧師「難病に指定されているらしいな」
私「脳の血管を磁気(じき)を使って撮影すると、タバコの煙のようにもやもやと広がって映(うつ)る場合がある。脳の血管に異常があって血液を送れなくなったときに、細い新生血管が、たくさん伸(の)びてきて、脳に血液を送ろうとする。その血管が、もやもやと立ちこめている煙のように見えるので、《もやもや病》という名がついた。《もやもや病》を持病として持っていた山田規畝子(きくこ)という女医は、34歳で脳出血(脳溢血(のういっけつ)を起こし、脳梗塞(のうこうそく)を発症した。さらにそのあと2度も脳出血に見舞われ、高次脳機能(こうじのうきのう)障害となった」
A牧師「《高次脳機能障害》っていうのは聞いたことがある。山田規畝子さんの場合はどんな症状なんだ」
私「たとえば、靴ひもを結べない。洗濯機(せんたくき)やテレビの操作の仕方が分からない。スプーンやフォークの持ち方が分からない。箸(はし)が使えない。歯を磨(みが)こうとして、どれが歯ブラシなのか分からず、歯磨きのチューブを口に入れたりする。自宅の間取(まど)りを忘れる。自宅へ行く道を忘れる。鉛筆を見ながら『消しゴム』と言う。隣に座っている友人を見て、『猿がいる』と言う。ボールペンで髪をとかそうとする」
A牧師「しかし、本人は自分の失敗を自覚しないから悩まないのではないか」
私「ところがそうではないんだ。失敗したということがよく分かっているから、悩むし、傷つくんだ」
A牧師「それはつらいだろうな。まわりの人は高次脳機能障害という言葉さえ知らない人がほとんどだろう」
私「山田規畝子さんは『壊(こわ)れた脳、生存する知』という本を書いて、自分の障害のことを積極的にさらけ出している」
A牧師「障害を隠(かく)すより、さらけ出した方が楽(らく)になるだろうな」
私「本人も楽(らく)だし、周囲の人も、どうやって助けてあげたらいいのか分かるからな」
A牧師「どんな場合でも、自分をそのまま出せたら、こんな楽なことはない」
私「いくら隠しても、隠そうとするその態度がそのまま自分なんだから、無駄な抵抗はやめた方がいい」
A牧師「自分のあるがままそのままでいていいんだというのが、宗教による救いだからな」
私「自分以外のものにならなくていいし、なりようもないというところに落ち着くのが救いなんだろう?」
A牧師「その通り」
私「自分になり切るというのが宗教の目指(めざ)すところだな」

はまなす 第161号 2010,1 死ぬこと・生きること(その27) 水野吉治 2010/05/12

私「37歳のジル・ボルト・テイラーというアメリカ人女性が、1996年のある朝激しい頭痛に襲われて目を覚ました」
A牧師「ただの頭痛ではなかったのか」
私「脳内出血を起こしていた」
A牧師「原因は?」
私「この女性には生まれつき脳内血管の奇形があったんだが、脳内出血を起こすまで奇形があるということがわからなかった」
A牧師「37年間、奇形の血管が持ちこたえていたわけだ。でもどういう奇形なんだ」
私「動脈と静脈とはふつうは直接つながっていないで、間にたくさんの毛細血管がある」
A牧師「動脈から送られてくる高い圧力の血液が、毛細血管でいったん圧力をゆるめられて、静脈へ流れるようになっているわけだ」
私「この女性の場合、脳内の動脈と静脈は、毛細血管なしに、直接つながっていた」
A牧師「なるほど、37年間酷使した奇形の血管の壁が高い圧力に抗しきれなくなり、破裂してしまったんだな」
私「破れたところから、大量の血液が脳内に流れ出して、左脳(さのう)が損傷(そんしょう)を受けた」
A牧師「左脳は言語脳(げんごのう)で、右脳(うのう)はイメージ脳と言うらしいな」
私「左脳がやられているので、助けを呼ぼうとしても電話もかけられない。言葉がしゃべれない。右腕が麻痺(まひ)してまったく動かない。何時間もかかってやっと職場に電話がつながったものの、電話に出た相手の言葉が理解できない。自分はうめき声しか出せない。異変に気付いた相手が駆けつけたときには、すでに5時間たっていた」
A牧師「脳出血の場合、2時間以内に病院に入らないと助からないと聞いたことがある」
私「それが奇跡的に助かった。2週間半して、脳からゴルフボール大の血のかたまりが取り出された。その後8年して元の生活にもどれた」
A牧師「8年間苦しかったろうな」
私「彼女の書いた『奇跡の脳』という本の最後に《回復のためのオススメ》という章があって、その中で《現在のわたしをそのまま愛して。以前のようなわたしだと思わないで。》と訴(うった)えている」
A牧師「医師や家族、その他介護するすべての人が心に留めて置かなければならないことだな」
私「《そのまま愛して》というのは発作を起こす以前と同じということではなく、《死の危険をくぐり抜けた新しい自分を愛して》ということだ」
A牧師「《新しい自分》とは《復活した自分》ということだな」

はまなす 第160号 2009,12 死ぬこと・生きること(その26) 水野吉治 2010/04/29

私「細川ガラシヤって知ってるだろう」
A牧師「安土(あずち)桃山時代の女性キリシタンだな。明智光秀の娘で、織田信長の媒酌(ばいしゃく)で細川忠興(ただおき)と結婚したが、高山右近(うこん)の影響でカトリック教徒になった」
私「さすがによく知ってる。牧師としての常識だからな」
A牧師「何かアトがあるんだろう?」
私「関ヶ原(せきがはら)の戦いのときに、石田三成(みつなり)に邸(やしき)を囲(かこ)まれ、人質(ひとじち)になるよう強要(きょうよう)されたので、細川家の家老(かろう)に命(めい)じて、自分を長刀(なぎなた)で殺させた。38歳だったと言う」
A牧師「それは『殉教(じゅんきょう)』ではないのか」
私「『殉教(じゅんきょう)』ではなく『殉節(じゅんせつ)』と言うらしい」
A牧師「『殉節(じゅんせつ)』ってどういう意味だ」
私「教えを守るために死ぬのが『殉教(じゅんきょう)』で、節操(せっそう)を守って死ぬことを『殉節(じゅんせつ)』と言うようだ」
A牧師「節操(せっそう)ってどういうことだ」
私「生き方の姿勢だな」
A牧師「ガラシヤの場合、節操(せっそう)って何を指(さ)すんだ」
私「たとえばきみの場合、きみが伝道師だった教会の牧師が辞任したあとを追って、教会をやめたことがあったが、きみは、生活のことを気にかけることなく、伝道師という地位や肩書を捨てることを何とも思わないで、ただ牧師に対する忠節(ちゅうせつ)だけを考えて辞任して行った」
A牧師「あとに残る教会員に対しては無責任なことをしたと後悔している」
私「だが、教会員はあれを『殉節(じゅんせつ)』と言っていた」
A牧師「そんな立派(りっぱ)なものではなかった」
私「ところで、ガラシヤに命じられて、彼女を殺した家老(かろう)は、罪を犯したのだろうか」
A牧師「刑法上は嘱託(しょくたく)殺人ということになるのだろうが、現在のキリスト教は、罪であるとは考えていないと思う」
私「家老自身はガラシヤを殺した直後に自分も切腹して死んだ」
A牧師「家老の死は、きみの分類によれば『殉死(じゅんし)』だな」
私「キリスト者の『殉教(じゅんきょう)』も『殉死(じゅんし)』だ」
A牧師「姨捨(おばす)て山伝説は、口減(くちべ)らしのための『犠牲死(ぎせいし)』だな」
私「母親が自分の子どものために犠牲になるということは戦争や地震のときに起こり得(う)る」
A牧師「その時は『犠牲』なんてことは意識していないだろうな」
私「意識すれば『偽善(ぎぜん)』になる」

はまなす 第159号 2009,11 死ぬこと・生きること(その25) 水野吉治 2010/04/26

私「浦島太郎が実は認知症だった、という話をしようか」
A牧師「それは面白い」
私「まず、浦島太郎のあらすじを考えて見よう」
A牧師「浦島が、子どもらにいじめられているカメを助けるんだな。そのお礼に竜宮城(りゅうぐうじょう)へつれて行かれる」
私「はじめて見る竜宮城なのに、浦島は警戒心もなく溶(と)け込んで歓待(かんたい)を受ける」
A牧師「竜宮城なら、主人は竜のはずだ」
私「ところが竜は現れないで、乙姫(おとひめ)が登場する。美しい乙姫の接待で、浦島が竜宮城での生活を楽しんでいるあいだに、浦島にとっては未知のはずの竜宮城が、いつか来たことがあるような気のする懐(なつ)かしいところと思えるぐらい、身も魂(たましい)も蕩(とろ)けてしまう」
A牧師「それが認知症の始まりか」
私「始まりじゃなくて、すでにその前から浦島は本格的な認知症だったのさ。未知のはずの場所が懐かしいところと思えたりするのは、『既視感(きしかん)(デジャヴュ)』と言って、前に来たことがあるような気がするという一種の記憶障害だ」
A牧師「浦島にとっては、やはり竜宮城は何か落ち着けないものを感じるので、家に帰りたいと言い出す」
私「家に送り返してもらうとき、玉手箱(たまてばこ)をもらって、絶対開けないようにと注意される」
A牧師「生まれ故郷に帰りついたら、何もかもすっかり変ってしまっていた」
私「それもやはり『未視感(みしかん)(ジャメヴュ)』という記憶障害で、よく知っているはずの場所が、はじめて来た場所のような気がするんだ」
A牧師「浦島が玉手箱を開けると中から煙が出てきて浦島は老人になってしまう。生まれ故郷に帰って来たときには、700年経(た)っていたんだ」
私「光速(こうそく)に近い速度の宇宙船に乗って地球に帰ってきときには、宇宙船での時間の何倍もの時間が経(た)っているという。相対性(そうたいせい)理論(りろん)では『ウラシマ効果』と言うらしい」
A牧師「700年という時間が本当なのか、それとも浦島が竜宮城で体験した時間が本当なのか」
私「相対性理論では『本当』というものはこの世にない。すべてが『相対的(そうたいてき)現象(げんしょう)』なんだ」
A牧師「『本当』というものがないというのは、気味の悪い話だな。じゃあ浦島が認知症から回復したら、どういうことになるんだ」
私「地球上の人間がみんな認知症患者だったということに気がつくかも」
A牧師「じゃあ、相対性理論も認知症の産物か」
私「まあそういうことになるな」

はまなす 第158号 2009,10 死ぬこと・生きること(その24)  水野吉治 2010/04/25

私「酒鬼薔薇(さかきばら)事件を覚えているだろう?」
A牧師「1997年の神戸の連続児童殺傷事件だな。当時14歳だった少年Aが犯人として逮捕されて東京都府中市にある関東医療少年院に収容されたらしいな」
私「よく知ってるじゃないか。」
A牧師「牧師があの事件を知らなければ、牧師として不勉強と非難されるだろう」
私「Aは2004年末に仮退院の予定だったが、その直前に、少年院でAを担当していた女医を押し倒して暴行を働こうとした」
A牧師「Aの精神の病気は完治していないということだな。当然仮退院は取り消しになっただろうな」
私「ところが法務省は、Aが更生(こうせい)しているとして退院させた。現在は東京近郊(きんこう)にいるとも、福山にいるとも、下関だとも言われている」
A牧師「官僚は、Aのようなお荷物は背負(せお)いたくないんだな」
私「あの事件の本質を突きとめもしないでAを放り出したんだ」
A牧師「じゃあ事件の本質は何なんだ」
私「Aが殺人を犯した理由だ」
A牧師「その理由は?」
私「他の無差別殺人犯にも共通することだが、『だれでもよかった』ということだ。カミュが1942年に書いた『異邦人』という小説では、殺人を犯した男が主人公だが、その男は殺人の理由を『太陽がまぶしすぎたから』と言う。つまり理由なんか無いということだ。ところで2006年にアーミッシュの学校乱射事件というのがあっただろう?」
A牧師「アーミッシュというのは、自動車も電気もコンピュータも持たないアメリカのキリスト教の一派だな。それと『異邦人』とどういう関係があるんだ」
私「乱射事件の犯人は、『9年前に長女が生まれて20分後に死んでしまったということに対して、神に仕返しをしようとした』と言うんだ」
A牧師「なるほど。仕返しの相手はだれでもよかったわけだ。神は『特定の人間では無い』ということだから」
私「つまり、殺人に特定の理由は無いということだ」
A牧師「理由がなければ対策の立てようも無い」
私「対策も理解も超えたものが殺人ということだろうな」
A牧師「それはこの世の出来事すべてに当てはまるな」
私「つまりこの世の出来事すべては、答えのない問いだということだ」
A牧師「宗教の出番だな」

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