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震災・死・教育
はまなす 第157号 2009,9 死ぬこと・生きること(その23) 水野吉治 2010/04/24

私「生まれて初めて車いすというものに乗った」
A牧師「君は足が悪くなったので杖(つえ)を突くことを勧(すす)められていたのに、杖を飛び越えていきなり車いすか」
私「大阪中之島の国立国際美術館へ家内に連れて行ってもらった。長時間立っているのがつらいから、会場備え付けの車いすを借りたんだ」
A牧師「乗り心地(ごこち)はどうだった?」
私「転倒せずにいられるということが、どれほど安心かよく分かった。しかし混雑している中での車いすが、どれほど迷惑な存在であるかということもよく分かった」
A牧師「車いすなしで杖だけなら、せいぜい30センチ平方ほどのスペースがあれば十分だが、車いすはその10倍ぐらいの面積を占領することになるだろう」
私「自動車だったらとても10倍ではすまないし、排気ガスや路面への負荷(ふか)を考えれば、とほうもない迷惑だな」
A牧師「『自分が快適でありさえすればいい』ということがもたらす、とんでもない『はた迷惑』だ」
私「『はた迷惑』を及ぼしながら、『自分だけは快適』ということがあり得るだろうか」
A牧師「絶対あり得ない。『はた迷惑』ということが分かる正常な感覚を持っているならば、『他人の不快』は自分にとっても不快であるはずだ」
私「ところが、他人を傷つけたり、殺したりすれば、自分は幸(しあわ)せになれるというキチガイが時々現れるから怖(こわ)い」
A牧師「『他人の不幸は自分の幸福』というわけか」
私「人間はみんな本心では『他人の存在は自分の不幸』と思っている」
A牧師「すると『他人を抹殺(まっさつ)すれば自分は幸福になれる』というわけか」
私「去年の秋葉原無差別殺傷事件はまさにそれだ。キチガイが2トントラックで人を轢(ひ)き殺し、ダガーナイフで人を刺(さ)し殺した」
A牧師「犯人はそれで幸福になれたんだろうか」
私「正気に返ってますますみじめになっていると思う」
A牧師「正気に返るための代償になった犠牲者は傷(いた)ましすぎる」
私「人間がみんな本心では『他人の存在は自分の不幸』と思っているとすれば、人間はみんなキチガイだということになる」
A牧師「危なくてうっかり道も歩けない」
私「まず自分がキチガイだということに気づかなければならない」
A牧師「どうすれば正気に返れるかということが問題だな」

はまなす 第156号 2009,8 死ぬこと・生きること(その22) 水野吉治 2010/04/21

私「君(きみ)は死について考えたことがあるか」
A牧師「死はいつも意識している」
私「それは自分の死か、他人の死か」
A牧師「両方だ」
私「自分の死をどういうふうに意識している?」
A牧師「自分が死ぬ時の様子(ようす)を頭の中で描(えが)いている」
私「自分が死んだあとの様子か、死ぬ前の様子か」
A牧師「両方だ」
私「死んだあとの様子をどのように描いている?」
A牧師「臨終から始まって、葬儀、火葬ぐらいまでかな」
私「テレビか映画の映像のように描くんだな」
A牧師「そうだ」
私「その映像を見ている君自身は生きているのか、死んでいるのか」
A牧師「死んでいる自分には何も見えないから、生きている自分が見ていることになる」
私「その生きている自分は、その時どこにいるんだ」
A牧師「頭の中だな」
私「じゃあ、その頭を生かしている本体の肉体が死ねば、自分は消えてしまうわけだ」
A牧師「そういうことになる」
私「見ている自分が消えれば、この世界も時間もすべて消えてしまう」
A牧師「自分にとっては消えても、世界も時間も実際には残っているんじゃないのか」
私「残っているかどうかを確かめる自分は消えてしまっているから、確かめようがない」
A牧師「つまり世界も時間も自分の頭が作ったものだというわけか」
私「その通り。君は坐禅をしたことがあるか」
A牧師「坐禅の恰好(かっこう)だけはしたことがある」
私「坐禅していると時間が気になるのは知っているだろう?」
A牧師「そう。まだ終わらないのか、あと何分かと,しょっちゅう考えてしまう」
私「自分が作っているものだから気になる。世界も時間も自分が作ったものだということに気づかせるのが坐禅の力だ。作るのを止(や)めれば、世界も時間もなくなる」
A牧師「頭を生かしている本体の肉体が死ねば、すべてがなくなるというのは分かるが、死んでしまっては元(もと)も子もなくなるんじゃないのか」
私「生きながら死ぬ、死にながら生きることができればいいんだろう?」
A牧師「なるほどそれが坐禅か」

はまなす 第155号 2009,7 死ぬこと・生きること(その21) 水野吉治 2010/04/20

私「『三光(さんこう)作戦(さくせん)』って聞いたことがあるか」
A牧師「いや。初めてだ」
私「日中戦争のときに日本軍が中国でやった無差別殺戮(さつりく)のことだ」
A牧師「『三光(さんこう)』ってどういう意味なんだ」
私「殺光(さつこう)(殺しつくす)、槍光(そうこう)(奪(うば)いつくす)、焼光(しょうこう)(焼きつくす)で三光(さんこう)と言うらしい。247万人以上の中国人が虐殺(ぎゃくさつ)されたと言う。しかし『三光(さんこう)作戦(さくせん)』自体は中国側のねつ造だという説もある」
A牧師「いずれにせよ、日本人は中国に対して暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽(つ)くしたということは事実だ。そしてそれに対する中国人の怒(いか)りも深いだろうなあ」
私「戦後中国で『人道に反する罪』に問われた日本BC級戦争犯罪人(戦犯(せんぱん))は1062人いたが、驚くことに、当時の中華人民共和国の周恩来(しゅうおんらい)総理(そうり)は次のように言ったという。
 『日本戦犯(せんぱん)の処理については、一人の死刑もあってはならず、また一人の無期徒刑者(とけいしゃ)も出してはならない。これは中央の決定である』」
A牧師「信じられないような話だ」
私「1062人のうち45人は8年から20年の刑を受けたが、捕虜(ほりょ)または戦犯となって以降の年月を刑期と認められ、結局1964年4月9日までに全員日本に帰国が許された。残りの1017人は起訴を免除され、釈放、帰国となっていた」(岩川隆氏による)
A牧師「アメリカはじめほかの連合国の裁判にかけられた日本兵はどうなったのだ」
私「死刑を執行された者が971人、他は終身刑479人、有期刑2953人、無罪が1049人だった。そのうち国民党政権下の中国による死刑は149人だ」
A牧師「中華人民共和国の決定に対して、中国人民は異議を申し立てなかったのか」
私「その決定を受け入れることができない幹部に対して、周恩来(しゅうおんらい)はこう言ったそうだ。
 『君たち幹部が納得(なっとく)すれば、部下はおのずから受け入れるようになるだろう。日本戦犯に対する寛大な処理については、20年後に、君たちも中央の決定の正しさを理解するようになるだろう』」
A牧師「常識をはるかに超えた中国の決定に対しては、外交カードではないかと日本政府も警戒しただろうなあ」
私「当然周恩来(しゅうおんらい)は中国の国益も考えて決定したと思う」
A牧師「戦争犯罪と言えば、アメリカの原爆投下は立派な戦争犯罪じゃないのか」
私「アメリカ版『三光(さんこう)作戦(さくせん)』だな」
A牧師「そのアメリカが日本の戦争犯罪人を処刑したりできるのか」
私「キリスト教国アメリカの自己批判が聞きたい」

はまなす第154号 死ぬこと・生きること(その20)  水野吉治 2009,6 2009/07/03

私「入江陵介(りょうすけ)という19歳の水泳選手のことだが」
A牧師「背泳ぎをするときに、ペットボトルをおでこに乗せたまま泳いで、それを落とさなかったので、『バランス王子』とか『カエル王子』とか言われたそうだな」
私「それは知らなかったが、中学時代からいくつもの新記録を出してきたらしい」
A牧師「ところが今回は世界新記録を出しながら、水着(みずぎ)のせいで公認されなかった。彼の着(つ)けていた水着が国際水泳連盟に認可されていなかったんだって」
私「どうして認可されなかったんだ」
A牧師「水着の内部に空気を含むと浮力がつくので、規則に抵触(ていしょく)するということだ」
私「もともとスポーツというのは『遊び』じゃなかったのか」
A牧師「そうだ。一人でもできるものだった」
私「それが、相手と競争するものになり、観客を想定(そうてい)するものになった」
A牧師「スポーツの堕落(だらく)だと言いたいんだろう」
私「本人も周(まわ)りも競争に熱狂するほどおもしろくなるからなあ」
A牧師「熱狂すればするほどスポーツの本質から遠ざかると言うんだろう?」
私「目を血走(ちばし)らせて逆上(ぎゃくじょう)するのがスポーツの醍醐味(だいごみ)だと思い込んでいる人が多い」
A牧師「メディアも逆上を煽(あお)ることでスポーツの振興(しんこう)に役立っていると信じているようだ」
私「マラソンの円谷(つぶらや)幸吉を自殺に追い込んだのはメダル獲得の重圧じゃなかったのか」
A牧師「円谷(つぶらや)も子どものときには、ただ走るのが楽しかっただけだった」
私「遊びである間は楽しいけど、メダルとか優勝とかの『餌(えさ)』で釣(つ)られるのはみじめだなあ」
A牧師「『賞』で釣るのはスポーツだけじゃないぜ」
私「世の中すべて、何かで釣ったり釣られたりして右往左往(うおうさおう)している。いちばんよく使う『餌(えさ)』は『金』と『名誉』だろうなあ。たいていの人間はこれによく食いつく」
A牧師「『女』という餌もある」
私「『女』のために道を誤(あやま)る宗教家もいる」
A牧師「わりあい宗教家に多いのは『目立ちたがり』だ」
私「『目立ちたがり』もひっくるめて『愛名(あいみょう)』と言って、『いちばん質(たち)の悪い罪だ』と言ったのは道元(どうげん)だ。『殺人よりも悪い』と言うんだ」
A牧師「『いちばん質(たち)が悪い』と言うのは『いちばん癖(くせ)になりやすい』ということだな」
私「『いちばんおいしくて、いちばん人を狂わせる餌』というわけだ。」
A牧師「『殺人よりも悪い』とは怖(こわ)い言葉だな」
私「深く肝(きも)に銘(めい)じたい言葉だ」

はまなす 第153号 死ぬこと・生きること(その19) 水野吉治 2009,5 2009/07/03

私「新型インフルエンザ騒ぎは少しは静かになったようだな」
A牧師「高校生などの若い人たちに感染が広がったな」
私「どうして高齢者には広がらなかったんだろう」
A牧師「ずっと昔の免疫が高齢者には残っているという説がある」
私「高齢者は小さい時から不衛生な環境で暮らしてきたから、インフルエンザ・ウイルスに対しても強いんだろうなあ」
A牧師「それにひきかえ子どもたちが育ってきた家の中は、電気掃除機、洗濯機、エアコン、空気清浄機、水洗トイレで、汚れもホコリも無くなり、食べ物は化学肥料で栽培され、完全パックされて、賞味期限・消費期限が設定されたものを食べ、無菌室で純粋培養されてきたのが、今の若い人たちなんだ」
私「だから花粉症、アトピー性皮膚炎、気管支喘息などのアレルギー病にかかりやすく、すぐキレたり、閉じこもりになったり、無差別に人を襲ったりする」
A牧師「自殺も多い」
私「それに原因不明の難病・奇病も増(ふ)えた」
A牧師「清潔志向が強いと攻撃的になるか、内攻的(ないこうてき)になるかの両極端になるんだな」
私「ペットでも大事に育てられれば弱くなる」
A牧師「藤田紘一郎(こういちろう)という人が日本人の清潔志向(しこう)について盛んに論じている」
私「藤田さんの言うには、『昔から人間の体には、体内に侵入してきた細菌(さいきん)や回虫(かいちゅう)に対応する免疫細胞があった。だが、回虫を駆除(くじょ)し、細菌を殺して、免疫細胞の仕事を取り上げてしまった。「失業者」になった免疫細胞ほど、いらぬことをする。だから、花粉やダニに反応してアレルギーを引き起こすのだ。』と言うんだ」
A牧師「抗生物質(こうせいぶっしつ)の使い過ぎで、薬の効(き)かなくなった耐性(たいせい)菌(きん)が増えている」
私「子どもどうしのいじめの代表的なものは、相手を『汚い』『くさい』と決めつけることから始まるらしい」
A牧師「自分を相手より優位に置こうとすれば、いちばん簡単な方法は相手を『汚い』『くさい』と決めつけることだ」
私「そう言われることがいちばんこわいから、差別者の側に立って、いっしょになって相手を『汚い』『くさい』と決めつけるんだ」
A牧師「清潔志向って結局は自分が神様みたいな絶対者(ぜったいしゃ)になることなんだな」
私「神様がアレルギーになったり、自殺・他殺までやらかすということか」
A牧師「それでは本当の絶対者(ぜったいしゃ)でなくなるわけだ」
私「『神は死んだ』ということか。また話そう」

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